2011年04月13日 14:00 〜 15:00 10階ホール
シリーズ企画「3.11大震災」 石原信雄 元官房副長官

会見メモ

阪神大震災の際、官房副長官として政府の要だった石原信雄氏がシリーズ「3.11大震災」で、政府の対応や復興策について話した。


≪「阪神大震災では村山富市首相が、閣僚を信頼し、責任者に全権を与え、自分が政治責任をとると明言した。今回、そういう仕組みがあるのか」≫


石原さんは、政府の復興策について「国民、特に被災地の人々が不安を払しょくできる大胆なビジョンを示してほしい」と求め、次の4点を指摘した。

①時間との勝負だ。総理と関係閣僚がスピーディに決める。会議、会議で答えがでないのは禁物。②復興構想委員会に実務経験者がいないのは不安だ。分科会では経験者や官僚の声を聞いてほしい。③復興の実施主体は県市町村が当たるべきだ。復興院を新設するのは窓口を二つ作ることになる。政府直轄は、新憲法の地方自治になじまない。④巨額の財源がいる。23年度予算の一部を復興に振り替える。臨時措置として増税も検討すべきだ。人々は自分の懐が痛んでも協力する。

福島原発事故については「想定外の事態というがなぜ防げなかったのか徹底的な原因究明を行うべきだ」「外国に正確な情報が伝わっているのか。正確な広報はできているのか」と指摘した。民主党の政治主導には「専門知識と経験を持つ官僚の意見を聞いて政治家が政策決定するべきであり、最初から官僚を遠ざけるのは正しくない」と批判した。また復興計画で問題となる土地の所有権をめぐり「農地は津波で冠水し、個別の所有権にこだわっていては何もできない。大多数の所有権者が同意する場合、一部の同意しない人の所有権を制限する特別立法は許されるのではないか」と述べた。

阪神大震災で、村山首相が小里震災担当相を現地に派遣した際「現地の判断で進めてください。予算や法令措置は自分が責任を負うから」と送りだしたことを紹介し、菅政権の素早い対応をうながした。


司会 日本記者クラブ企画委員 西川孝純(共同通信)


会見リポート

首相は“結果責任”を

鎌田 司 (共同通信編集委員兼論説委員)

官僚トップの官房副長官として7代の首相に仕え、最後の村山内閣時代に起きた1995年の阪神大震災では、省庁間調整の先頭に立ち被災者支援や復興の取りまとめに当たった。そうした実績を持つ眼に、戦後最大の被害となった東日本大震災への菅内閣の対応はどう映るか。出席者は興味津々で耳を傾けた。

 

「災害復興は時間との勝負。最終決定は首相を中心に各閣僚でスピーディーに」「復興構想会議のメンバーに実務経験者がいないのは不安に感じる」「原発事故対策では自治体との連携がうまくいっていない印象を持った」

 

直下型で神戸などが壊滅的打撃を受けた阪神大震災では、初動対応の遅れを厳しく批判された。「それは今も認める。しかし被災状況判明後は良かったと思う」と反駁した。

 

震災3日後に小里貞利震災担当相を現地に派遣、各省庁責任者を随行させた。「村山首相は『あなたの判断で必要な応急、復旧を進めて結構。後の予算や法令措置などは私が責任を負う』と述べて小里氏を送り出した」という。

 

「大規模災害では首相がすべて対応するのは不可能。分野ごとに担当閣僚を決めて権限を与え、首相が結果責任を取るということが村山内閣では明快だった。(今回)そういう姿勢だったかどうか」と語り、淡々とした口調ながら発生直後の菅直人首相の「独走」や官邸の「迷走」ぶりを浮き彫りにした。

 

「政治家がより良い政策決定をするため、専門知識を持つ官僚の意見を聞いたらいい」と、官僚を使いこなす必要性を強調した。自民党長期政権を支えた豊富な経験を基にした指摘はいちいちもっともなことばかり。そうした話を聞くにつけ、政治の貧困をあげつらうばかりではなく、政治の「創造的復興」を促す報道が必要と痛感した。


ゲスト / Guest

  • 石原信雄 / Nobuo ISHIHARA

    日本 / Japan

    元官房副長官 / Former Deputy Chief Cabinet Secretary

研究テーマ:シリーズ企画「3.11大震災」

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