2010年05月28日 00:00 〜 00:00
金子兜太・俳人「総会記念講演 生きもの感覚 ~俳句の魔性~」

会見メモ

俳人の金子兜太さんが日本記者クラブ総会記念講演で「生きもの感覚―俳句の魔性」と題して話した。

金子兜太さんのホームページ
http://kanekotohta.jp/

金子兜太さんは、「人間そのものをとくとみなければ」と俳句の先輩である小林一茶、種田山頭火、尾崎放哉の名をあげ「放浪者、漂­泊者のありてい、いきざまをみて、いのちとはこういうものだなと思った」と話した。特に、一茶についてくわしく語り、一茶が日録­に書き残した「荒凡夫(あらぼんぷ)」ということばについて「平凡で自由な人間、と読みたい」と説明。一茶の句を引きながら、一­茶と「生きもの感覚」を考えた。話は山頭火や、産土(うぶすな)、英語のハイクにも広がった。

司会:斎藤史郎・日本記者クラブ理事長(日本経済新聞)


会見リポート

「生きもの感覚」俳句の魔性

吉野 光久 (元日本経済新聞文化部長)

昭和37年、現代俳句協会の分裂の翌年創刊した「海程」を砦に、前衛派の旗手として現代俳句界を終始リードしてこられた氏の舌鋒の鋭さと熱気には、90歳という年齢を全く感じさせないところがあった。

何よりも人間を描く氏は一茶、山頭火ら放浪漂泊の俳人の再評価を通じ、いのちの本質を見定める。

「人間は世間欲にとらわれる一方でナイーブな感性、本能も備えている。森から野に出て歩行を始めた人間のおおもとのふるさとは森。全てのいのちが平等であるこの原郷を志向する本能が『生きもの感覚』です」

2万句を超す一茶の句を読むと、二つの本能の間で葛藤する人間の姿が見えてくる。「そして60歳の正月に一茶は『荒凡夫として生かして欲しい』と書く。欲を重ね愚の上に愚を重ねてきて、もうこのまま思うように生きたいと願う」。荒凡夫、即ち自由で平凡な人間でいたい、と。

「『花芥子のふはつくやうな前歯かな』という句があります。江戸後期のいい歳をした農民の息子が、ゆるんだ前歯の浮いた感じを花芥子のような、と。この洗練された柔らかい感覚には驚く。『やれ打つな蝿が手をすり足をする』も、蝿は手足の先でモノを識別するという最近の学説を知り、なるほどと分かった、あれは手足を磨いて感度を良くしているだけ。一茶はただそれをじっと見ている。決して教訓的な句ではない」

「今日200万人を超える欧米のハイク熱の火付け役、英国人R・H・ブライスは『蚤どもが夜長だろふぞさびしかろ』の句を引いて、一茶を最も日本人的、最も人間的と評した」

生まれ育った秩父の原郷で生きもの感覚を養い、秩父の産土(うぶすな)を踏みしめる氏の近年の傑作。〈酒止めようかどの本能と遊ぼうか〉遊の一字の意味が、熱演を聞いて分かったような気がした。


ゲスト / Guest

  • 金子兜太 / Touta KANEKO

    日本 / Japan

    俳人 / Haiku poet

研究テーマ:総会記念講演 生きもの感覚 ~俳句の魔性~

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