2005年08月08日 00:00 〜 00:00
中島岳志・京都大学人文科学研究所研修員「著者と語る」

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会見リポート

中村屋ボースの生涯と昭和

伊藤 章治 (個人会員(中日新聞出身))

終戦60年の8月にふさわしい「著者と語る会」だった。著者中島氏は30歳の若さ。インド通い(?)で日焼けした顔をほころばせながらさわやかな口調で、インド独立運動の闘士R・B・ボースの波乱の人生と、彼が提起した問題とを語った。

インド独立に目覚め、ハーディング総督に爆弾を投げつけて重傷を負わせた事件の後日本に亡命、東京・新宿の中村屋にかくまわれて地下生活を送ったボースは1918年、中村屋の娘、相馬俊子と結婚。その後、日本に帰化して極東の地からインド独立運動を指導、インド独立連盟の総裁にも就任するが、日本の敗戦も、母国の独立も見ることなく、1945年1月、原宿の自宅で死去した。またボースは中村屋の取締役にもなり、中村屋の新メニューに「インドカリー」を提案、「中村屋のカリーは恋と革命の味」といわれた。

そんなボースの生涯を語った後、中島氏は「近代日本のアジア主義」の再評価の必要を強調した。「西欧の国民国家体制など近代の問題点が浮かび上がっていた昭和という時代に、東洋の側からそれを変革していこうという人たちがいた。そんなアジア主義がひとつの可能性として語られた時代があった。東アジアの共同体の議論などアジアとの連携が語られる今、忘れられたボースの足跡ももう少し振り返るべきではないか」。

スピーチの後は活発な質疑応答。「多くの革命家が日本に絶望するなか、なぜボースは日本に留まったのか」などの質問に丁寧に答えた後、中島氏はこう語った。

「私が高校2年の時、ソ連は崩壊。私の中に右、左の対立はない。もしかすると私たちの世代が(古い世代の)歴史観の対立を超えながら、何らかのことを言えはしまいか」。この突き抜けた「新世代宣言」に、会場から盛んな拍手が寄せられた。

ゲスト / Guest

  • 中島岳志 / Takeshi Nakajima

    京都大学人文科学研究所研修員 / Trainee, Institute for Research in Humanities, Kyoto University

研究テーマ:著者と語る

研究会回数:0

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