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宮崎駿監督/「答えない」と言いつつ説く/300㍍内の自然への責任(蒲 敏哉)2025年3月

 これまでの取材で一番難しかった人を振り返ると、サツ回り時代のデカさんもそうだったが、印象に残っているのは、アニメ映画監督の宮崎駿氏だ。東京新聞(中日新聞東京本社)の社会部で環境省担当をしていた2010年10月、名古屋市で国連の生物多様性条約会議(COP10)が開かれることになった。本社のおひざ元で開かれるとあって、「他紙を圧倒する紙面づくり」の重責の一端を担うことになった。1面で、COP10に関連する企画をやることになり、その筆頭に考えたのが宮崎氏のインタビューだった。

 宮崎アニメの「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」には、今はなき美しい田園風景や自然への畏敬、廃棄物にまみれた神など、COP10につながるものを感じた。そして宮崎氏自身、日本各地の自然保護運動を応援したり、私財を投じて身近な自然の保護に努めており、企画冒頭を飾れるなら素晴らしいことだと思った。

愛知県では当時、名古屋市の「平針の里山」を守る保護運動があり、宮崎氏も「名古屋のトトロの森」として応援メッセージを送っていた。

 

散歩する森で数時間待って

 問題は、宮崎氏はこの種の取材をオフィシャルに受けていないことだった。

 NHKで、宮崎氏が出てくる番組があるが、それは、作品やスタジオジブリに関連したものであって、それ以外の案件で宮崎氏が出てくるケースはほとんどない。表玄関からの取材が非常に難しい人なのだ。

 直接取材となると自宅訪問しかないが門前払いの可能性が高い。そこで、宮崎氏が関わる地元の自然保護団体の方に問い合わせ、宮崎氏が保全に力を入れている森を毎朝散歩することを日課にしていることや、年に一回、雑草刈りなど森林整備の集まりに参加していることなどを伺った。

 2010年3月のある早朝、電車でこの森の最寄り駅へ行き、森の中の遊歩道で何時間か待っていると、しんしんと歩いてくる人物がいた。宮崎監督だった。社名を名乗って写真を撮りたいと話しかけると「僕はいいとも悪いとも言わないし勝手にすればいい」との言葉が返ってきた。森の中に流れる川のほとりで、「こういう川に捨てられるゴミの問題が映画になったんですか」とおっかなびっくりで話しかけると、「そんなのは勝手に思えばいいことで、僕がああこおいう話じゃないです」とつっけんどんな返事だった。

 ご自宅は、住宅街にあるごく普通の戸建てだった。「大成功した映画監督なのに質素ですね」と尋ねると「映画ってのは当たらないとものすごく大変になる。そんないつ莫大な借金ができるか分からないのに、いい家なんか建てられるわけないですよ」と言われた。

 

清掃は吸い殻への罪滅ぼし

 煙草をくゆらせながら、宮崎氏は「この森には何万本も僕のタバコが埋まっている。今やってるのは罪滅ぼしなんですよ」と話してくれた。この川にアユが遡上してくることや上流からの排水問題など、尋ねることには、なぜかきちんと返してくれる方だった。

 その後、森の清掃活動にも参加し、そのときも枯れ草を刈りながらインタビューした。宮崎氏は、「僕は答えないよ」と言いながら、なんとなく話しかけると、ちゃんと答えてくれた。そこらへんがなんとも不思議で、大きな魅力でもあった。

 企画記事としてある程度の形が出来上がった際、編集幹部から物言いがついた。宮崎氏を森でインタビューしたときに取材したのは3月ごろ。背景が枯れ木の冬の景色だった。企画の掲載は9月ごろ。「違和感がある」との指摘だった。撮り直すためには、あの森にもう一回行くしかない。また会えるだろうかと、暗い気持ちで森に行った。この取材は、宮崎氏が出張中や仕事中なら会えるかどうかも分からない、賭けみたいなものだった。そんな取材に写真部を同行させるわけにもいかなかった。いわゆる記者カメで、一眼レフを抱えて遊歩道に佇んだ。まんじりとした気持ちで待ち続けると宮崎監督はやってきた。社名を名乗り、事情を話し、「もう一回撮らせてください」とお願いすると、「僕には関係ないよ」と言ってすたすた行ってしまう。追いかけながら撮って川のほとりで「笑ってもらえませんか」と言うと笑ってくれた。まあ、なんだか情けない意味不明な記者が来て、あんまり必死だから、哀れんでくれたのかもしれない。実際、本当は優しい人だと思った。

 宮崎氏は、自宅近くの森が住宅開発で失われる事態に際し、自治体に3億円を寄付。この資金を原資に自治体は募金をし、自治体が森を買収し、森林公園とする形をとった。

 宮崎氏は、インタビューの中で、「自分自身の半径300㍍以内の自然に責任を持ってほしい」と訴えた。数多くの自然保護活動を支援し続けての結論だという。

 

開発続ける国へ諦念と警鐘

 宮崎氏へのインタビューから15年がたった。今、読み返してもそのメッセージは重く、宮崎氏の問いかけに我々は何も解決していないことを実感する。

 生物多様性会議は、野生生物の保護を考える会議と思われがちだが、本質は、先進国が途上国が持つ薬草などの遺伝資源を利用して利益を上げた際、その利益をどう還元するかの経済交渉だ。気候変動対策のCOPと比べれば、温室効果ガスを排出して栄える先進国が、海面上昇や洪水で苦しむ途上国に、どう資金援助するかを経済交渉する点で構図は同じだ。

 宮崎氏は、虫たちを生活から排除し、人口が減少する中、ひたすら開発を続けるこの国の在り方に、自分がいろんな取り組みを重ねた上での諦念と並行し警鐘を鳴らしていた。国連が2010年を生物多様性年に定めたことについては「意味がないですね」と断じていた。

 

「ナウシカ」を大学の教材に

 今、大学の教員として「環境と政策」という総合政策学部の必須科目の中で、環境省が掲げる地域循環共生圏などの施策を教えている。しかし、こうした役所がつくったスキームは、無味乾燥で、学生の関心をひき出し、考えるように教えるのは至難の技だ。環境問題とは、自分自身を含めた社会の生き方を考えるものであり、学術書をただ覚えるものではない。

 きっかけとして、大学の図書館には宮崎氏の描いた徳間書店出版の『風の谷のナウシカ』を置いてもらった。アニメ映画とはまったく違ったストーリーが描かれているからだ。宮崎監督は、高畑勲監督と、ジブリ学術ライブラリーと題したDVDのNHKのドキュメンタリー「人間は何を食べてきたか」の解説で出演している。インドネシア・ロンバタ島でクジラを追う民など、まさに持続可能なあり方とは何かを問いかけており講義の材料にしている。学生アンケートでも、宮崎氏の作品は、環境問題を考える上で、深く届いていることが分かる。

 愛知県長久手市にできたジブリパークでは、園内の装飾用タイルを廃タイルを再利用して制作しており、こうした取り組みはゼミでも紹介している。フィボナッチ数列に基づき、約20万枚使われているという。

 東日本大震災で、東京電力福島第1原発が大事故を起こした際、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と宮崎氏やスタッフが横断幕を掲げたメッセージを発信している。

 宮崎氏にインタビューした際、好物はなにかと尋ねたら「サンマ団子」と言われた。長野県の南アルプス方面に天空の里があり、ジブリはそこで合宿するのだが、そこの民宿がいろりで焼くサンマ団子が絶品なんだと。なぜ長野の山でサンマなのか。とても不思議だった。いつかゼミ生を連れて行ってみたいと思っている。

 

かば・としや▼早稲田大学教育学部卒 在学中探検部でインドネシア領イリアンジャヤを探査 1987年中日新聞社入社 長野支局 東京本社社会部警視庁捜査一課担当 環境省担当 社会部ニュースデスク長など 2022年3月から岩手県立大学総合政策学部教授(環境政策、環境ジャーナリズム) オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所ジャーナリストフェロー ベルリン自由大学環境政策研究所客員研究員 著書に『クライメット・ジャーニー 気候変動問題を巡る旅』(新評論)※宮崎駿インタビュー集録

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