取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
河北新報「震災報道若手PT」/消えない炎を心に息長く/記者18人11テーマに挑む(佐藤 崇 河北新報社編集部長)2025年3月
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から14年となる3月に向け、河北新報の記者たちは今年も震災取材に奔走した。編集局約220人のうち、震災後入社は既に4分の1。震災報道を今後もいかに続けていくかが大きな課題となっている。一つの手だてとして始めた震災報道若手プロジェクトチーム(PT)の取り組みは4年目に入った。
震災後入社の若手に参加を呼びかけ、PTが発足したのは、震災10年の節目を過ぎた2021年12月。若手に自由な発想で関心あるテーマを取材する機会を提供し、記事掲載までを経験してもらおうと企画した。
■ノウハウ・人脈継承目指し
活動の軸は二つある。自らテーマを見つけて取材を組み立てる過程を通じ、社内に蓄積されたノウハウや人脈を継承してもらうのが一つ。もう一つが新鮮な視点や発想で時代に合った震災報道を探ることだ。
毎年、自由参加方式で部局の壁を越えて20~30人程度が集まり、取り組みたいテーマを申告する。分野が近い同士でチームを組み、内容を詰めて取材に着手。所属先の日常業務をこなしながら時間を確保し、先輩やデスクの助言を受けて原稿を仕上げる。若手PTの統一した体裁で掲載された記事は30本以上に上る。
本年度は入社1~3年目を中心に記者18人が活動。1人か2人チームが計11テーマに挑んだ。営業局のメンバーも初めて連携した。
編集部入社2年目の中澤昂大記者(24)とせんだい情報部1年目の吉田ちひろ記者(25)が選んだテーマは「外国人と防災」。「外国人向けの防災情報発信が十分でない」との問題意識から、東北6県の77市にアンケートを実施。災害時のハザードマップの外国語版を作成している市が、人員不足や予算の制約などを理由に13%にとどまることを報じた。
震災では津波や避難所生活に関する情報が足りずに戸惑う外国人が多かった。2人は学生時代から身近に留学生がいて、外国人の災害対応に関心があった。記事では、技能実習生が住民と共に防災訓練に加わる宮城県気仙沼市の地区を紹介し、平時から関係を築く重要性を訴えた。
■古里福島の災禍と向き合う
古里の災禍と向き合った記者もいる。経済部1年目の手代木みずき記者(26)は福島市出身。原発事故で一時全域避難した福島県飯舘村を離れ、仙台市の長女方に身を寄せる104歳の女性に話を聞いた。別の取材で長女と知り合ったのがきっかけだった。90年間暮らした村を追われながら現実を受け入れて生きる女性の姿に触れ「当事者の話を聞き、原発事故が何を奪ったのか、少し分かった気がした」と振り返る。
所属での仕事と並行して取り組むPTだけに、集中的に取材時間を確保する例もある。シリーズ「被災地の一日」は、「町職員ら43人が犠牲となった宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎」「原発事故で一時避難区域となった福島県富岡町の商業施設」などに記者が立ち、多くの声を拾って人々の思いに触れる。
これまでは震災報道を志し、熱い思いで入社した記者が多かったが、今後もそうした入社が続くかどうかは分からない。時の経過とともに、読者に響く記事を書き続けるハードルも高くなるだろう。
本年度のPTの会議で心構えを説いたベテラン記者は「熱くなくてもいい。消えない炎を心に持ち続けてほしい。続けているから書けるものがある」とメンバーに語りかけた。焦らず息長く、被災地の新聞社として「記憶と教訓を伝え、命と地域を守る」役割を果たしていきたい。
さとう・たかし▼1992年入社 福島総局 いわき支局 報道部などを経て 2024年4月から現職