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吉田正紀さん 元海上自衛隊海将、前防衛大臣政策参与/日米関係の「ガーデナー」(佐藤 祥太)2024年11月

 ホワイトハウスから歩いて数分の近さにあるガラスと大理石造りのモダンなビル。靴音が響く高い天井のロビーを抜けて9階に進んだ部屋で月1回、とある〝サロン〟が開かれる。米ワシントンDC在住の研究者や外交官、メディア、ビジネスマンなどが、アメリカは、そして日本との関係は今どこに向かっているのかを議論する会。その元締めは、敬意を込めて「提督」と呼ばれている。

 吉田正紀氏は、1979年に入隊後、佐世保地方総監で退官するまで35年間、海上自衛隊一筋。海将になった正真正銘の「提督」が、なぜ〝サロン〟を主宰しているのか?

 源流は2005年から3年間の在米日本大使館・防衛駐在官時代だという。当時の加藤良三大使からの「日米同盟のガーデニングを」という助言で勉強会を開始。退官後に「民間人としてのガーデニング」を志して双日米国副社長に転じ、15年に再びワシントンに赴任してから談論風発の場を立ち上げた。途中入退場OK、肩書に関係なくオフレコで共学を掲げている。

 

■「オレが鍛えてやろう」

 

 そんな吉田氏との出会いは17年。念願のワシントン特派員になったものの経済部が長く、安全保障の取材は〝ゼロ近傍〟。略語だらけの会見や発表文と格闘する日々の中、知人に「教えを乞うべき方がいる」とつないでもらった。

 緊張しつつ内情をお話ししたところ、眼光鋭かった「提督」がニッコリと笑って「よしっ、オレが鍛えてやろう。正面からくるヤツぁ大事にするんだ」と言ってくださり、胸をなでおろしたのを覚えている。まだ少人数での共学はとても刺激的だった。

 吉田氏は防衛駐在官時代に人脈を駆使して米軍制服組トップ・統合参謀本部議長が通うスポーツジムを割り出し、距離を縮めたという情報のプロ。長年養った戦略眼とネットワークを基にテーマを決め、発表者を選び、議論を紡ぐ。テレビで言えば「プロデューサー」と「MC」を兼ねる手腕と努力には敬服するほかない。

 

■月1〝サロン〟 260人激論

 

 会員は現在260人余。コロナ禍を経て、現地土曜朝にウェブ上で開かれる〝サイバーサロン〟が軸に。日本は夜のため、参加する第一線の方々がみな少しリラックスした装いで激論を交わすのもまたこの会らしい。

 吉田氏がリラックスする姿を拝見したこともある。海をモチーフにした飾りで彩られたお宅で、関係者を招いて不定期に開催される「居酒屋・吉田亭」だ。強面の「提督」も2度のワシントン暮らしを支えてきた奥さまの美貴さんにはやられっ放し。笑顔を絶やさない美貴さん手作りの絶品餃子を頂きながら、〝夫婦漫才〟と縦横無尽の日米よもやま話で盛り上がる楽しい時間だ。

 その場で私は気鋭のアメリカ研究者、慶應義塾大学の中山俊宏教授と親しくする機会に恵まれた。その後も、ともに若いころ米中西部で暮らした経験をベースに、政治・経済はもとより音楽やスポーツなど「文化」の視点からもアメリカを語り合えたのはとても豊かな時間だった。一昨年、中山教授が55歳の若さで鬼籍に入ったのは本当に悲しく、残念だ。

 帰任後も参加している月1回の〝サロン〟と、そこでの出会いは私にとってかけがえのない財産だ。「もうちょっと花を咲かせろ」とからかわれそうだが、日米関係の「ガーデナー」に育てていただいている恩義を、いつかは返したいと考えている。

 

(さとう・しょうた 2002年TBSテレビ入社 現在 報道局経済部デスク)

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