取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
渡部恒三さん 元衆院副議長、元民主党最高顧問/政権交代 支えた「包容力」(清水 俊介)2024年10月
名演説を間近で聞けることは政治記者の役得。20年近い政治取材の中で特に印象に残っている一つは、2006年3月、民主党の渡部恒三国対委員長が両院議員総会で行った就任あいさつだ。
2006年の通常国会、民主党は偽メールをもとにした質問により、窮地に陥っていた。国対委員長が引責辞任。後任選びは固辞が相次いで難航したが、党の最高顧問だった恒三さんが引き受けた。衆院副議長在職は歴代最長の約7年、永田町の常識では「一丁上がり」の大ベテラン。異例の起用だった。
「この日本に必要なのは、二大政党。私が断ったことで民主党をつぶしてはならない。国賊にはなりたくない」「苦しい時こそ、笑顔、希望を忘れず」
会津なまりでユーモアを交えた決意表明は、沈んでいた同僚議員を勇気づけた。会場の雰囲気が明るくなっていく感覚を今でもはっきり覚えている。優しくも力強い名演説に心打たれ、恒三さんとの付き合いが始まった。
■人との縁、変えずに続ける
国対委員長といっても、実務は委員長代理らにほぼ任せた。持ち前のご意見番的キャラクターから「平成の黄門様」と呼ばれるようになると、選挙応援などで水戸黄門の衣装を着て会場を沸かせた。
約半年で国対委員長は退いたが、無役になっても、折に触れ事務所に足を運んだ。取材と言うよりは、大ベテランの政局見通しや昔話を聞くために。
無類の愛煙家。火を付けたまま、話すことに夢中になり、指に挟んだたばこから灰がソファや床に落ちていく。恒三さんの話に引き込まれているのに、灰の行方が心配でならなかった記憶がある。
当時70代半ば。党内で力を持とうというギラギラしたところはなかったが、一体感に欠ける党内に対し、まとまることの大切さを説き、若手を育てることが自らの役割と心得ていた。
「あの議員の質問は良かった。国民が聞きたいことを聞いてくれた」「彼はよく頑張っている。党を背負って立つようになる」と、若手の活躍を手放しで褒めた。
一方で、「小沢くんの悪い癖が出てきた」「鳩山くんはしゃべりすぎだな」など、党執行部には厳しかった。
話を聞きに行って煙たがられたことは一度もない。相手がどういう立場になっても、一度縁を持った人とは、知り合った時の関係のまま付き合いを続けるのが恒三さんの信条。おおらかで、包容力あふれる人柄にすっかり甘えた。
ただ、引退直前は、悲願の政権交代を実現して政界を退く晴れやかさより、有権者へのお詫びの言葉が多かった。「期待してくれた国民の皆さんに申し訳ない思いでいっぱいだ」。民主党議員の中で誰よりも誠実に「民主党政権の失敗」に向き合っていた。
■「自民に代わる政党」訴え
「国民が『自分の1票で日本の政治が変わる』と投票所に生き生きと行くためには、いつでも自民党に代われる政党ができること」。06年の名演説で恒三さんはこう訴えていた。裏金事件を受け、自民党に対する有権者の怒りはくすぶっている。民主党政権は失敗したが、「政権交代ある政治」の必要性は今も変わらない。
根っからの二大政党論者は、24年の政治状況を天国からどのような思いで眺めているだろうか。衆院選が迫っている。
(しみず・しゅんすけ 1999年入社 現在 東京新聞政治部デスク兼論説委員)