取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
輿石東さん 元民主党幹事長/顔合わせ 心合わせ 力合わせ(市川 謙吾)2024年9月
2000年に入社し、京都総局勤務の4年間を除いて計20年以上を永田町の現場で取材してきた。この間、担当した当時の肩書で安倍晋三官房副長官や自民党の谷垣禎一政調会長、園田博之政調会長代理、菅義偉選対副委員長といった有力政治家と身近に接した。今回のエッセーでは、民主党政権で参院議員では異例の与党幹事長を務めた輿石東氏を取り上げる。
■ぶれない 逃げない うそつかない
輿石氏の番記者となったのは10年9月。自民の青木幹雄氏に代わって「参院のドン」と呼ばれるのはもう少し後のことだが、既に参院議員会長として存在感を放っていた。それまで自民以外の政党を取材した経験がほとんどなく、初めてあいさつした時は緊張したことを覚えている。
当初はろくに本音を聞けず、苦労した。陸山会事件を受けて小沢一郎氏に対する処分が重要な取材テーマだったが、何を聞いても「知らん!」「見てりゃあ分かる」と取り付く島もない。揚げ句の果てには「誰かに聞いてこい」と言い放ち、こちらとしては「あなたしか知らないじゃないか」と恨み節の一つも言いたくなった。
しばらく取材を重ね、特定のフレーズを多用することに気付いた。「ぶれない、逃げない、うそつかない」は輿石氏が目指す政治姿勢。世論受けを狙った言動は「飛んだりはねたりして」と嫌った。左派から保守まで雑多な信条を持つ議員をまとめるため、人事では「居場所と出番」に腐心した。
最も耳にした言葉が「顔合わせ、心合わせ、力合わせ」。直接会って、時には酒を酌み交わしながら話をすることで心が通い合い、みんなが力を合わせていくことができるという意味だ。民主党政権の幹部同士や、党内各グループ間の交流が少ないことを嘆き、自身は野党自民党の有力者を含め「顔合わせ」を心がけていた。
輿石氏は11年8月、幹事長に就任。野田佳彦首相が党内融和を期待して起用したのは当然に思えた。しかし、野田首相が進めた社会保障と税の一体改革に対する党内の反発は強烈で、輿石氏も相次ぐ離党を防ぐことはできなかった。民主党は12年12月の衆院選で惨敗し、下野した。
■引退から8年、幅広い人脈
輿石氏は今年5月に米寿を迎え、回顧録『疾風に勁草を知る』の出版記念パーティーを東京都内のホテルで開いた。野田氏や菅直人元首相、立憲民主党の泉健太代表、枝野幸男前代表らが出席。16年の政界引退から8年が経過したが、幅広い人脈を示すように自民の麻生太郎副総裁や伊吹文明元衆院議長、連合の古賀伸明元会長も姿を見せた。
あいさつに立った輿石氏は「人と人は出会い、心と心が通じ合った時に信頼が生まれ、全てのことが解決される。そんなことを学ばせていただいた80年余りの人生だ」と強調。「ご縁返しのつもりで、残された時間を精いっぱい頑張っていきたい」と語った。
民主党政権の元幹部が多数所属する立民は、今月23日に代表選の投開票を控える。今秋以降に想定される衆院選は12年以来の政権復帰が懸かる。与党になればより結束して国政を運営していくことが求められるが、党内融和は立民の命題でもある。輿石氏が説き続けた「力合わせ」の重要性は、泉氏や枝野氏、野田氏らに届いているのだろうか。
(いちかわ・けんご 2000年時事通信社入社 現在 政治部 平河クラブキャップ)