取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
永田和宏さん 歌人、細胞生物学者/自分と向き合うこと学ぶ(岩橋 裕介)2024年6月
ちかごろ、一人でぼんやりとものを思ったり、切に考えたりすることが少なくなった。正しくは、何やら考える前に、サササっとグーグルで解答を調べてしまっている。
自粛期間中は、あるときはベランダから夜空を眺め、またあるときは海辺の公園で木漏れ日を見上げながらじっと考える時間もあったのに。
はっきり言って、怠惰すぎる。
想像は創造の母。ものを思うからアイデアも生まれ、原稿の表現の幅も広がるはずだ。
実はコロナ禍、周囲に大事に至った人がいなかったこともあるが、そう悪いことばかりではなかったのかもしれない。
前振りだけで200字も使ってしまった。今回、この「もの思う」ことをテーマに書いてみようと思う。
ねむいねむいで科学と短歌
この「もの思う」を思索するきっかけになったのは、歌人で細胞生物学者の永田和宏先生の取材だ。
初めてお会いしたのは瑞宝中綬章を受章された2019年のころ。永田先生といえば、妻の故河野裕子さんとともに現代歌壇を代表する歌人であり、学者としても世界で名をはせる。紛れもないスーパーマンだ。
そんな方の会見とあって大緊張したものだが、キャリアから連想されるような孤高だったり、お堅かったりする雰囲気は全くなく、気さくに接してくれたのを覚えている。
科学と短歌の二つを両立させるには並大抵の苦労ではなく、睡眠時間を削るしかなかったという。その状況を詠んだのがこの歌だ。
〈ねむいねむい廊下がねむい風がねむい ねむいねむいと肺がつぶやく〉
忙しい毎日に疲れ、全てほっぽり出したいような悲哀の歌なのに、音楽的な読み心地の良さ。私には逆立ちしたって書けっこない。
雲の上のオーラ、ユニーク
雲の上のようなオーラも持ち合わせながら、ユニークさたっぷり。このとき、おこがましくも(じっくりお話ししてみたい)と直感した。
それから半年。世間が「これからどう生きていくか」を考え始めたとき、インタビューさせていただいた。
コロナ時代について尋ねると
「『打ち勝つ』なんて言葉が飛び交っていますが、ウイルスは生き物ではないし、まして『人類を攻撃しよう』なんて意思はありません」
と笑われてしまった。そして心を込めて言う。
「こんな状況だからこそ、孤独の中で自分と向き合う時間を持ってほしい。今、本当に会いたい人は誰なのか。その大切さに気付くことができると思いますよ」
その意味深さに、しばらく考え込んだ。
コロナ禍の影響で、永田先生は最後の講義が延期になった。その気持ちをこう歌われている。
〈最終講義も延期となりてさしあたり宙ぶらりんのぶらに揺れをり〉
自分の存在や役割が明確にならないとき、人は社会や他者との関係や距離で自身の位置を再認識できる。そんな思いが込められているのではなかろうか。
ところで今年、コロナ下に出会った女性と結婚することになった。
プロポーズした際、妻はこう返した。
「1日でいいから、私より長生きしてね」
よもや「めぞん一刻」の名台詞の引用ではないだろうが、パートナーとして何をなすべきであろうかと考えさせられた。
一人でものを思うだけでなく、夫婦として相手を見つめ、思い合うことで、人生観や考え方がまた変わるかもしれない。
想像すると、胸がときめく。
(いわはし・ゆうすけ 2013年共同通信社入社 社会部 京都支局などを経て21年から再び社会部所属)