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帰還困難区域/「帰りたい」積み重なる13年/「帰れないのは国の都合か」(菅野 篤司 福島民友新聞社編集委員・浜通り創生担当)2024年3月

 東京電力福島第1原発事故から13年が経過しようとしているが、福島県内には、いまだに原則として立ち入りできない帰還困難区域が存在している。国は新たに「特定帰還居住区域」という制度を設け、避難指示の解除に向けた手続きを進めているものの、住民の帰還の実現にはまだ時間がかかるのが現状だ。

 「私たちが帰ることができないのは放射線量の問題ですか、それとも国の予算の問題ですか」。帰還困難区域を抱える自治体の住民説明会で、ある男性が声を上げた。この一言は、近年の帰還困難区域を巡る問題の本質を鋭くついている。

 原発事故では、制御不能になった原発で核燃料が溶け落ち、そこから発生する放射性物質が外部に放出された。帰還困難区域は、放射線量が高いため、当面は帰ることができない地域として設定された。

 環境行政の根幹に、環境汚染からの回復の費用は汚染者が責任を持つ「汚染者負担の原則」という方針がある。このため、事故後に国や自治体は、住民に身近な環境から放射性物質を取り除く「除染」を行ったが、その経費は汚染者である東京電力に支払いを求めていた。

 

■復興拠点の内外で分断

 その後、帰還困難区域の中に、先行して住民が帰ることができる「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」を設け、その区域の避難指示解除を目指すことになった。その際、国はインフラと一体的に整備することなどを理由に除染に国費を投入することを決めた。帰還困難区域の環境回復は、一義的に国が主体となった。

 復興拠点の範囲は、関係自治体が計画をつくり、国が認定する形で決められた。帰還困難区域の住民の間に、自宅が復興拠点内に含まれたか、外れてしまったかという分断が生じた。拠点から外れた住民は「なぜ外れたのか。いつ解除になるのか」と説明会で何度も聞くが、国の担当者の答えは「まずはできるところから整備させてください」と、手続き上の説明にとどまっていた。

 国の手続き論は誤りではないが、住民が感じる理不尽さ、古里に帰れない悔しさに向き合った回答ではなかった。冒頭に紹介した男性の問いは「帰れないのはもう、国の都合にほかならないのでは」という、住民の思いを代弁しているように思う。

 復興拠点はおよそ5年の整備期間の後、各地で解除された。解除の式典で、ある首長は帰還困難区域の高齢者に「早く帰して」と懇願されていたことを明かし、「そんな方々も思いを果たすことなく、お亡くなりになりました。本当に申し訳ない」と切々と語った。事故からの歳月は、子どもを大人にし、大人が老いるに十分なほど積み重なっている。

 今回の「特定帰還居住区域」は、復興拠点から外れた地区のうち、帰還する意思がある住民の住宅などを中心に区域設定し、避難指示解除を目指す制度だ。関係自治体は住民への意向調査に基づき、整備計画づくりを進めている。大熊町と双葉町では、先行的な除染が始まった。

 

■全域解除方針 明言したが

 計画の内容などが公表され、一歩進んだ雰囲気はある。だが、除染やインフラ整備が終わり、実際にいつ帰還できるかはまだ見通せない。国は「長い年月を要するとしても」という表現で、帰還困難区域の全域を解除する方針を明言してきたが、住民に待ってもらうにも限度はある。

 再建する地域の将来像を膝詰めで語り合い、その実現に必要な工程や時間を誠実に示すことが最低限の国の責任であろう。13年前の被災地の最終的な復興がどのように行われるか、全国の他の災害の被災地にもしっかりと示していただきたい。

 

かんの・あつし▼2001年入社 東京支社報道部 報道部デスク ふたば支社長を経て 23年10月から現職(論説委員兼務)

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