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放射性廃棄物 最終処分/県外搬出 見通し立たず/色あせる廃炉の青写真(藁谷 隆 福島民報社編集局報道部)2024年3月

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から13年。太平洋に面した福島第1原発(大熊町、双葉町)を「C」の字で囲むように建設されたのが中間貯蔵施設だ。福島県内59市町村のうち西部の会津地方を除く計52市町村から、除染作業でかき集められた放射性物質を含む土壌や草木などが搬入されている。面積は約1600㌶あり、東京都の渋谷区や中野区より広大な「迷惑施設」(内堀雅雄福島県知事)だ。

 福島第1原発が立地する大熊、双葉両町、福島県が2014年9月、建設を「苦渋の決断」で受け入れた。1月末現在、中間貯蔵施設には東京ドーム約11個分に相当する1376万立方㍍の除去土壌などが搬入されている。帰還困難区域に再び人が住めるように除染などを進める「特定復興再生拠点区域」の整備に伴い、土壌などの除染廃棄物は増え続けている。

 

■通用せぬ「時間切れ」の再演

 中間貯蔵はあくまでも一時保管であり、最終処分ではない。除染廃棄物は2045年3月12日までに、国が福島県外で最終処分すると法律で定められている。環境省を中心とした最終処分の議論は始まったばかりで、県外搬出の見通しは立っていない。内堀知事は昨年10月の講演で「2045年まで、たった22年」と危機感をあらわにし、国が責任を持って対応するよう訴えた。最終処分候補地の選定、住民らの合意形成、施設整備などに相当な時間を要する。政府が福島第1原発処理水の海洋放出を決定した際のような「時間切れ」の演出では国民の理解を得られない。

 環境省が関東地方で計画する除染土壌の再生利用実証試験は地域住民の理解を得られず、手詰まり状態にある。埼玉県所沢市議会は昨年3月、住民合意のない実証試験を認めないと決議。新たな葛藤、分断を生んでいる。

 福島県復興の大前提となる福島第1原発の廃炉は、何を持って完了したとするのか。事故発生から13年が経過する今なお、廃炉の最終形は不明だ。国と東電の廃炉工程表にも記されていない。原発敷地内には、1~3号機で計約880㌧に上ると推計される溶融核燃料(デブリ)、約1万2千体の使用済み核燃料などがある。こうした高レベル放射性廃棄物はもちろん、汚染されたがれきなどを最終的にどう処分するのかは議論さえ始まっていない。

 福島県は政府と東電に対し、デブリや使用済み核燃料などの放射性廃棄物の県外搬出を求め続けているが、中間貯蔵施設に一時保管している除染廃棄物のように県外最終処分の法的担保は今もない。

 政府と東電は放射性廃棄物の最終処分に向けた検討には、デブリの性質や状態の把握が前提になるとしている。廃炉工程表では事故から10年以内にデブリを取り出すとしていたが、延期を繰り返し、1月には3度目の延期を決定。先行きの不透明さが増している。工程表で廃炉完了は「事故から30~40年後」としている青写真は年を追うごとに色あせてきていると感じる。

 

■共感を広げ、解決の糸口を

 「NIMBY」(ニンビー)。ノット・イン・マイ・バックヤードの頭文字で、迷惑施設の必要性を理解しつつも自宅裏には置かないでほしいという略語だ。国内外の環境問題などで度々、耳にする。原発事故に起因した福島の復興課題はまさにNIMBYだ。除染廃棄物にしろ、放射性廃棄物にしろ、福島県外で最終処分する際には必ず、NIMBYが大きな壁となって立ちはだかるだろう。国策として原子力を推し進めてきた政府が前面に立って、国民の間に自分事として共感を広げなければ解決の糸口は見つからない。

 

わらがい・たかし▼2009年入社 南相馬支社 編集局報道部 猪苗代支局長を経て 19年4月から現職

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