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「安倍放送改革」の教訓/表現の自由 メディアの使命(大久保 好男)2024年1月

 今年の初詣では、戦地に一日も早く平和が戻るよう、多くの人が祈ったことだろう。ウクライナに続いてパレスチナでも軍事衝突が勃発した。日本周辺の国際情勢も一段と厳しさを増している。

 平和を維持し、国民の生命、財産を守るのは政治の仕事だが、それを監視する新聞、放送の責任も大きい。政治権力は、目障りなメディアに圧力を加え、委縮させ、自分たちに都合の良い報道をさせようと常に狙っている。そうした事態に直面した時、ジャーナリズムに関わるすべての人々、とりわけメディアの経営者は、勇気と使命感が問われる。

 

「民放モデルぶっ壊す案」

 私は主に政治記者として35年間、読売新聞で過ごした後、2010年に日本テレビに移って12年間、経営に携わった。その日本テレビ時代のことである。

 2018年春、当時の安倍晋三首相が放送の大改革を目論んだ。唐突なうえ、民放を解体に追い込みかねない過激な改革案だった。民放事業者は驚愕し、動揺し、慌てた。

 先に個人的なことを言っておけば、私は、安倍晋三さんの父、安倍晋太郎自民党幹事長の担当記者だった。安倍晋三さんとは、父親の秘書をしていた頃からの30年来の仲だ。安倍政権の外交政策なども、私は高く評価している。ただ、この放送改革だけは全く賛成できなかった。

 安倍さんは、この年の1月の施政方針演説で「通信と放送が融合する中で、国民の共有財産である電波の有効利用に向けて大胆な改革を進める」と述べた。何をやろうとしているのか、訝っていたところ、日を置かずして総務省OBや自民党の幹部から次々と「安倍さんの改革は民放のビジネスモデルをぶっ壊すものだ。気を付けた方がいいですよ」と心配する声が届いた。

 3月9日夜、私は日本テレビの「高輪館」で安倍さんと向き合った。

 席に着くなり、安倍さんは「トランプ大統領から今朝、電話があって、北朝鮮の金正恩総書記に会う、と言ってきた」と興奮気味に語り始めた。しばらく国際情勢の話が続いた後、話題は放送改革に移った。

 

顔が火照り汗がにじんだ

 「ネットを含む通信は大変成長している。放送にある外資規制や番組の政治的公平、公序良俗の規定といったものはネットにはない。放送とネットに差をつける必要はないのではないか」

 安倍さんは、こう切り出すと、続けて、「放送が正しくて、ネットが劣っているというのは誤りだ。放送のフェアネス・ドクトリン(公平原則)はなくし、自由にやっていただいて、どう判断するかは視聴者に任せた方がよい」「まだ外に出していないが、ネットの投票で最も支持が多い政策は放送の自由化ですよ」などと熱弁をふるった。言葉の端々に「民放の報道は偏っている」との強い不満と、ネットへの信頼と期待がうかがえた。

 安倍改革案を法制度に照らして整理すると、「政治的公平」「公序良俗」などの番組編集準則を定めた放送法の4条、番組審議機関の設置を定めた6条、マスメディア集中排除原則や外資規制を規定した93条など、放送特有の規制はすべて撤廃する。そして放送局のハードとソフトの分離を徹底させ、地上波に、テレビ局制作の番組だけでなく、ネットなどのコンテンツも流させる、というものだった。

 政府の当時の内部文書には「放送(NHKを除く)は基本的に不要に」「電波の競り上げオークション方式導入」とも記されていた。

 安倍さんの話を聞いているうちに、私は顔が火照り、汗がにじんだ。

 これが実行されたら、民放テレビはハゲタカファンドや中国資本などに買収されるだろう。利益率が低い報道や情報番組は消えてなくなるか、外国などの宣伝に利用されるだろう。破綻する事業者が続出し、放送に対する国民の信頼が失われ、民主主義の基盤は崩れるだろう。

 私は食事も忘れて反論した。

 「とても受け入れられません。災害時の緊急放送などの公共的役割は、ネットには担えませんよ」

 「放送と通信の融合で民放も厳しい時代を迎えていますが、放送の将来像は自分たちで描きます」

 応酬は1時間以上も続いた。

 安倍さんは「民放連は何も言ってこないから、これでいいと思っていた。これからはオープンに議論してもらいます」と言い残して帰った。

 

新聞も援護、首相を止める

 改革の狙いと強い意欲を本人から直接聞き、安倍さんが本気であることが分かった。早く対応しないと手遅れになる。私は当時、民放連副会長だった。在京キー局各社に声をかけ、民放連の幹事会の下に対策会議を立ち上げた。

 まず、キー局の社長が定例記者会見で、そろって反対を表明した。私も「間違った方向の改革だと思う」と批判した。与党関係者と新聞各社に、この改革がもたらす混乱を説明し、反対してもらうことにも力を入れた。

 幸い、民放の懸念と主張は、大手新聞各社の理解を得られた。

 読売新聞の渡邉恒雄主筆は「戦後の民主主義を支えてきたのは新聞とテレビだ。政権批判の放送くらいで民放は不要などと言い出す内閣なら、要らない」とまで言い、安倍さんに思いとどまるよう、自ら説得に乗り出した。

 民放各局の反発と新聞各紙の批判的報道で、政府や与党内にも慎重論が強まった。4月に入り、安倍さんも放送改革を口にしなくなった。

 ただ2カ月後、民放連会長就任あいさつのため首相官邸を訪ねた私に、安倍さんはこう言った。「秋の総裁選が終わったらリベンジしますからね」。諦めたわけではなかったのだ。

 安倍さんは4年後の2022年7月、亡くなった。もっと長生きして、多方面に活躍してもらいたかった。誠に残念でならない。

 安倍放送改革は結局、このような経緯で、日の目を見ることはなかったが、実現していたらと思うと、今でも背筋が寒くなる。

 岸田政権は、テレビをネットと同列に置くような改革には、興味はなさそうだ。しかし、時の権力者の意向次第で、産業振興の仮面をかぶった民放つぶしの放送改革論が、いつ再浮上してもおかしくない。

 

「ネット倫理」いまだなし

 フェイクニュースの氾濫や、最近の生成AIを悪用した要人の偽発言動画の横行などを見れば、ネットに弊害が多いことは明らかだ。ネットには、自らを規律する「放送倫理」や「新聞倫理」のような「ネット倫理」はいまだない。

 民放は今後も、放送制度の中にしっかりと位置付けられ、維持されなければならない。その拠り所は、ネットと違い、国民の知る権利に応える公共的な役割と社会的責任を有するメディアであり、健全な民主主義の基盤であることだろう。

 それには、政治権力の圧力に負けず、テレビ局自らが表現の自由、報道の自由を守り抜き、国民に信頼されるメディアであり続けることが不可欠だ。

 さらに、免許事業の放送が公権力の不当な圧力や介入と闘うには、自由な新聞の援護が極めて重要である。安倍放送改革の顛末の一部をここに記したのも、そのことを再認識してほしかったからにほかならない。

 国際情勢がきな臭くなれば、政治権力とメディアの間に緊張が高まる場面も増えることだろう。その時、プロのジャーナリスト集団である新聞とテレビには、垣根を越えて共に支え合ってほしい。そして、勇気と使命感を持ち、圧力をはねのけ、正確で、信頼される、自由な報道を守って、この国を誤りなく導いてほしいと、切に願うものである。

 

 

おおくぼ・よしお▼山梨県出身 1975年読売新聞社入社 東京本社政治部長 取締役メディア戦略局長 日本テレビホールディングス代表取締役社長 日本テレビ放送網代表取締役社長執行役員などを経て 2018年に日本民間放送連盟会長就任 19年日本テレビホールディングス代表取締役会長 日本テレビ放送網代表取締役会長執行役員を経て 23年から日本民放クラブ会長 日本テレビ放送網顧問 読売新聞グループ本社相談役も務める

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