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川津祐介さん 俳優/未来の為政者へ、想い熱く(杉田 朗)2023年6月

 「君が杉田君?」

 青い瞳でじっと見つめられると吸い込まれそうになった。子どものころ、 テレビドラマ「ザ・ガードマン」「Gメン75」で見ていた俳優、川津祐介さんが目の前にいた。

 1989年、科学教養番組「てれび博物館」(日曜朝10時〜10時30分)の担当ADとなった最初のロケ現場であった。番組の放送開始は78年、当時すでに500回を数えており、 その初回からの司会者が川津さんだった。

 

小5でも理解できる番組を

 その後、ディレクターを経てプロデューサーになると、映画、舞台など多忙を極める川津さんと全国の取材先を回り、番組の方向性、テーマの選択等、いろんな話をするようになった。そして、青少年が楽しめるオモシロ実験企画物に加えて、次第に環境問題、医療問題といった硬派な内容も取り上げるようになっていった。

 98年「ダイオキシン」をテーマに選んだとき、表現の仕方について電話で真夜中まで話し合った。「小学5年生でも理解できる」がモットーの番組のため、わかりやすくしようとすると多くの情報を端折らなくてはならない。「ごく微量で遺伝子が傷つき不妊になる!?」「食物連鎖でヒトの体内に入るときには濃縮されて大変危険!?」など、かなりエキセントリックな内容なので、どこまで踏み込んで表現するのか判断が難しかった。川津さんは、環境ホルモン、温暖化など人体や子孫に影響を与えるテーマについては、特に最新の情報を正確に伝えようと努力していた。

 2014年、長年お蔵入りしていた川津さん主演の映画「ナンバーテン・ブルース さらばサイゴン」が公開された。撮影されたのは75年4月 30日にサイゴンが陥落する直前の南ベトナムだった。川津さんが、戦争、環境汚染等に強い関心を示した根幹が、この枯葉剤、 ナパーム弾が投下されたベトナム戦争中での撮影現場にあったに違いないと確信した。

 

「1000年先を見据えよう」

 1〜2年に1度、メインスタッフとともに司会者にも入ってもらい企画合宿を行った。

 あるとき、川津さんから、「1000年先を見据えよう」というテーマが提案された。人類の歴史と英知を見直し、今後何が予測され、何に注目すべきなのか、想像力を豊かに考えよう、と。「ミレニアム」「2000年問題」など、21世紀に向けて騒がしくなるより前のことで、正直ピンとこなかった。

 しかし川津さんは、「日本はこのまま少子化が進み、いろんな問題点を先送りしていくと、50年後には今の社会構造は崩壊して食糧、医療、エネルギー政策など次々と破綻していく」「厳しい生活環境が続くとこれまでの歴史では必ず暴動、戦争に結び付いている。未来に為政者となる青少年たちにこそ想像力を駆使してもらい、さらにその先を見据えてもらいたい」と熱く語った。

 2000年、番組のリニューアルで川津さんと私が卒業することになり、年に1度の親交に変わっていった。22年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が勃発した。川津さんが亡くなられたのはその2日後だった。

 侵攻から1年以上膠着状態が続き、いろんな不協和音が噴出している。この世界の状況を川津さんは天国からどんな思いで見つめているのだろうか。

 

 (すぎた・あきら 1986年東海テレビ放送入社 報道制作局制作部担当部長 事業局専門局長などを経て 現在 同局スーパーバイザー)

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