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「震災関連死」連載企画/「埋もれた死」遺族の声から/過去の教訓、なお浸透せず(吉田 尚史 河北新報社報道部)2023年3月

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響により命を落とした「震災関連死」は1都9県で3789人(2022年3月末時点)に上る。低体温で亡くなったり、長期化する避難で体調を崩したり、さまざまな問題を突き付けた。認定の在り方もなお解決すべき課題は多い。

 被災3県の現時点での認定数は計3733人。岩手470人、宮城930人に対し、福島は2333人と突出している。直接死の数と比べた場合でも、岩手、宮城がそれぞれ1割程度である一方、福島は直接死1614人を大きく上回る。関連死が認定された人の死亡時期で見ても、岩手、宮城の9割以上が発災1年以内なのに対し、福島は全体の約4割が2年目以降で、5年目以降も239人が認定された。

 

5回転居、環境激変で病に

 原発事故に見舞われた福島では、避難長期化の影響が色濃く映し出される。河北新報社が自治体に開示請求した資料などによると、避難指示が出された福島県楢葉町で関連死と認められた人は平均で5回転居(21年1月末時点)。住み慣れない土地を転々とするなど環境の激変がストレスとなり、心身をむしばんだ。避難先で引きこもりがちになり、全身の機能が落ちる生活不活発病や認知症を患うケースが目立った。

 直接死が圧倒的多数だった津波被災地ではさまざまな関連死の事例が存在した。帝京大大学院と共に21年、石巻市の関連死275人を分析。最も多かった死因は全体の3割を占めた肺炎で、津波や泥をのみ込んで炎症を起こす「津波肺」も確認された。他にも冷たい床の上での雑魚寝など劣悪な避難所生活で体が弱ったり、ライフラインが途絶えた病院で治療が受けられなかったりしたケースもあった。

 

硬直化した認定手続き

 どうすれば一度は助かった命を守れるのか。東日本大震災から10年が過ぎても被災地で関連死が起きている現状と課題を伝えるため22年の上半期、遺族や医療現場の声を基に連載企画を展開した。

 関連死の概念が阪神淡路大震災(1995年)で生まれて以降、新潟県中越地震(2004年)、東日本大震災(11年)、熊本地震(16年)など大規模災害のたびに関連死が繰り返されてきた。見えてきた問題は、法制度から避難態勢まで多岐に及ぶ。

 熊本地震の後、国は全国の災害拠点病院に事業継続計画(BCP)の策定を義務付け、医療機能を維持するための備えを要請した。たびたび問題視されてきた避難所生活も段ボールベッドが普及するなど、各地で環境改善に向けた取り組みが一歩一歩進むが、十分とは言えない状況だ。

 遺族本位でない制度も問われるべき問題だ。関連死を判断する際、新潟県中越地震で作成された「長岡基準」が広く用いられたが、津波や原子力災害に対して災害の異なる物差しで死を判断する枠組みは妥当性を欠く。加えて、国の定義では災害弔慰金法によって認められた人のみを災害関連死と捉えるが、行政の統計上の数字は認定範囲が狭すぎる上、遺族の申請がなければカウントされない。硬直化した認定手続きの結果、死の全体像を把握するのは難しくなる。

 関連死の教訓は今なお浸透しているとは言い難い。国は統計からこぼれ落ちた「埋もれた死」も含めて事例を丁寧に収集し、一人一人異なる死の様相を把握することが欠かせない。私たちの暮らしは地震や豪雨災害と常に隣り合わせで、近い将来には南海トラフ巨大地震や首都直下地震の発生が予想される。次の被災地が同じ苦しみを繰り返さないため、残された教訓にどう向き合うかが問われている。失意のうちに亡くなった人が残した「遺訓」を漏らさず受け取り、役立てなければならない。

 

よしだ・なおし▼2002年入社 志津川支局(現気仙沼総局南三陸分室) 報道部 郡山支局 19年4月から現職

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