ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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横森巧さん 山梨学院高サッカー部総監督/立ち止まらない闘争心の塊(小野田 洋平)2022年5月

 サッカー場に行けば、山梨学院高の横森巧総監督(79)はいつも姿勢よく立っている。闘争心の塊か。衰え知らずというのか。納得のいくことなどないのだろう。難しい表情をして、何か言いたげに選手たちの練習を見つめている。

 「あれぇ、きょうは何でぇ」

 私を見つけると、その雰囲気のまま甲州弁交じりの独特のイントネーションで話しかけてくる。話し始めたら止まらない。サッカーのこと、チームのスタッフのこと、プライベートのこと…。内容はさまざま。笑いを交え、楽しい時間を与えてくれる。

 念願のスポーツ担当となった2009年春。初めて取材した。私自身がサッカーをしていたこともあり、韮崎高監督時代に全国高校サッカー選手権で5年連続ベスト4に導いた「名将」であることは知っていた。

 それだけに山梨サッカー界の歴史上の人物と話すようで恐縮したが、ずっと聞いてみたかったことがあった。無礼を承知で「山梨学院を強化することで、韮崎関係者から反感を買うのではないか」と質問をぶつけてみた。

 

強化本格化4年で日本一

 「うちは山梨の選手たちではなく、県外の選手たちを集めて強くする。ライバルとして切磋琢磨していくんです」。そう言って、笑い飛ばされた。

 05年度から山梨学院高の強化を本格化させた。人工芝のグラウンドにミーティングルームを備えたクラブハウス、徒歩圏内の選手寮…。ハード面も充実させ、Jクラブの下部組織出身選手が県外から集まった。強化からわずか4年で、韮崎時代に一度も届かなかった選手権日本一を手にした。

 国立競技場のベンチ脇から、ロイヤルボックス前で優勝旗を掲げる選手たちを見つめる姿は今も鮮明に思い出す。総監督として18年夏の全国高校総体(インターハイ)、20年度の全国高校サッカー選手権も制し、いずれも担当記者として取材させてもらった。ただ、私が衝撃を受けたシーンはほかにある。

 

めがねの隙間 涙こぼれる

 横森氏は山梨学院大男女の総監督も務める。19年11月23日。大学男子が関東大学リーグ2部昇格を懸けて神奈川大と対戦し、1―2で惜敗した。試合後のこと。ミーティングを終えてロッカールームから出てくると、こっちを見ようとしない。表情を隠すようにうつむき、足早に立ち去った。めがねの隙間からは涙がこぼれた。

 「残念だった。1年間ご苦労さん」。ロッカールームでは、それしか言えなかった。「また頑張れや」。いつもの締めの言葉も出ない。見たことのない姿。かつて厳しさで知られた男ではなかった。

 大学女子は関東大学リーグ1部で戦っている。東京都リーグ1部の男子が関東大学リーグに昇格すれば、10年以上前に始まった強化の〝横森プロジェクト〟は完遂する。グラウンドから去る時になるのかもしれない。

 コロナ禍に「死ぬかもしれない。怖い」と初めて弱音を聞いたが、「止まってはいけない。停滞するのが最もいけないこと」とらしさ全開で生きる。今春から高校監督に韮崎高時代の教え子の羽中田昌氏を迎えた。日本一となった監督を交代させるのは2度目のこと。チームが強くなるために―。立ち止まることを知らない。

 (おのだ・ようへい 2006年山梨日日新聞入社 運動部などを経て 4月から報道部・県政担当)

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