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芸人・ばってん荒川さんマネジャー沢柳則明さん /〝縁〟とことん 芸人も日本人妻も(坂本 尚志)2022年2月

 電話先の声が弾んでいた。「坂もっちゃん、俺はうれしいよ。コロナでどんな世の中になっちまったかと思ってたけど、やっぱり思いは届くんだよな」

 

ばってんさんを昨秋、記事に

 昨秋、熊本を拠点に活躍した芸人で、2006年に他界したばってん荒川さんを記事にした。ばってんさん自身が生き様などを語った約30年前の音源が見つかったのを機に、マネジャーだった沢柳則明さん(73)=福岡市=が、音声や歌を収録したCDとブックレットの制作を計画し、資金をクラウドファンディング(CF)で募っている、と紙面で紹介した。亡くなって15年がたつのに、反響は予想を上回るものだったという。

 沢柳さんとの付き合いは文化部時代に、ばってんさんを取材した時からなので、約18年になる。コロナ禍は芸能界も直撃し、仕事はほぼ壊滅。そんな折、沢柳さんは、常に前向きだった「先生」と慕う名優の音声に背中を押された。「人生は舞台、あなたが主役。苦しか時も、よか時もある。それが生きるということ」。金にならなくても生きた証しを残したくなった。

 沢柳さんは対面を大切にするが、あえてCFに挑戦し奏功した。熊本を離れた人からは、ネットニュースなどでこの企画を知り、「子どもの頃に見た舞台を思い出し、元気が出ました」との反響があった。ばってんさんと交流のあった宮家からもCDとブックレットの注文が入った。

 ばってんさんは、九州以外ではなじみが薄いかもしれない。伊東四朗や小松政夫と「電線音頭」を踊ったり、おばあさん役でアイスクリーム「うまか棒」のCMに出たりした、と言えば顔が思い浮かぶ人もいるだろうか。熊本発にこだわり、全国区で活躍するローカルタレントの先駆けとなった。

 

40年近く、寄付や手弁当で

 沢柳さんは長野県出身で、中学卒業後に集団就職で上京。職業を転々とするうちに、やくざの世界に首を半分突っ込んだこともあった。20代半ばで逃げるようにして奥さんの実家のある福岡県へ。やがて歌手の地方巡業を支えるキャンペーン屋を始め、イベント制作会社を立ち上げた。芸能界以外でも選挙の裏事情に通じるなど、さまざまな顔も持つ。

 こわもてだ。でも情にもろく、一つ一つの縁をおろそかにしない。そんな沢柳さんが気に掛ける人々がいる。戦前、日本の植民地支配下だった朝鮮半島の男性と結婚し、戦後は韓国で暮らす「在韓日本人妻」と呼ばれる女性だ。

 両親が朝鮮半島から引き揚げてきた縁もあり、日本人妻の存在を知って放っておけなかった。日本の大衆文化が未開放だった1984年、タレントを連れて釜山に渡り、慰問コンサートを開くなど支援を開始。40年近く続く活動の資金は寄付や手弁当でまかなってきた。筆者も現地へ同行し、在韓日本人妻の親睦団体「芙蓉会釜山本部」の國田房子会長(御年106歳)宅にお邪魔した。

 一時は2500人以上いたとされる日本人妻は現在数人のみ。「先生(ばってんさん)のことはひと区切りが付いた。韓国のおばあちゃん(への支援)は最後の一人がいなくなるまでやるよ」

 コロナ禍で人と人の交わりが少なくなった上に、メールでやり取りを済ませがちな今、用事の際は必ず福岡から会いに来る。同じローカルで生きる者として、また人生の先輩として、縁を大切にする姿勢に頭が下がる。

 

 (さかもと・なおし▼1994年熊本日日新聞社入社 現在 地域報道本部)

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