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元首相・鳩山由紀夫さん/らしくない宇宙人、今ならば(関口 裕士)2021年11月

 筆者は、いわゆる政治記者の経験がなく選挙取材は数えるほどしかしていないが、地元選出の衆院議員として室蘭勤務時代に担当した鳩山由紀夫さんの選挙のいくつかの場面が印象に残っている。

 2005年の総選挙。室蘭市内で行った出陣式で、鳩山さんの第一声は「今日はとってもうれしいことがある」で始まった。室蘭の病院に入院していた後援会の寺山好子さんが、病をおして駆けつけてくれたことを紹介したのだ。

 東京出身の寺山さんは結婚後、室蘭に移った。幼いころ、自宅近くの護国寺で遊んだ1歳年下の男の子が鳩山さんだった。鳩山さんが衆院選出馬のため室蘭に拠点を移すと、実の弟のようにいとおしく思い、夫婦で後援会に入った。寺山さんは2003年に悪性リンパ腫を発病後も、手術や抗がん剤の副作用に耐えながら応援した。

 同じ選挙の最終盤で寺山さんはもう一度外出許可を取り、市内での街頭演説に出かけた。彼女を見つけて走り寄る鳩山さん。「やせたんじゃない、疲れてない?」と相手の頰を両手でさすったのは鳩山さんではなく寺山さんだった。

 翌年、寺山さんは亡くなった。3年後、夫の聰さんは遺影にうれしい報告をすることになる。「鳩山さん、首相になったんだよ」

 

■ぶち上げた理想の目標

 北海道選出議員で初の首相になった鳩山さん。政権交代直前には米軍普天間飛行場の移設先について「最低でも県外」と発言し、首相就任直後の国連総会では日本の温室効果ガス排出量を2020年に1990年と比べて25%削減するという高い目標をぶち上げた。

 「政治はそんなに甘いものではない」「お花畑だ」…。そう批判された。「宇宙人」と呼ばれ、米紙には「ルーピー(間抜け)」とまで書かれた。もともと室蘭での街頭演説でも理想論を語っていた。派手な柄のシャツに赤いベルトといったいでたちで地方都市の室蘭を回る鳩山さんは「宇宙人」という形容がふさわしかった。

 

■裏も表もない、そのまま

 そんな鳩山さんに今年6月、久しぶりにインタビューした。「最低でも県外」という言葉のその後をどうみるか聞くためだった。

 「政権交代前夜の民主党への期待感が盛り上がる中、『何とか最低でも県外にしてほしい』という声をたくさんの方から聞いたのです」。だから「最低でも県外」と言ったという。裏も表もない。そのままだ。民主党の幹部にさえ十分な根回しもせず「フライングのような形で」言葉を発したため「自らの首を絞める」ことになった。官僚も「面従腹背だった」とぼやいた。確かに政治とはそんなに甘いものではないのだろう。結局、県外移設を諦め、移設先を名護市辺野古とする従来案に回帰。一連の迷走に加え、政治とカネの問題もあり退陣することになった。

 インタビューで聞いてみた。鳩山さんって政治家には向いてなかったのではないですか――。

 「普通の政治家とは全く違うから、向いてないといえば向いてなかったと言えますね。ただ、政治家も官僚も経済人も学校の先生も、みんなそこに向いている人がその世界に入って仕事をして、今のこんな日本になってしまった。『らしくない人間』が入って変えないと、この国はますますおかしくなってしまうと思うのです」

 宇宙人のそんな言葉は、確かにそうだよなあと思う。

 

(せきぐち・ゆうじ▼2000年北海道新聞入社 現在 編集局編集委員)

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