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元東京都知事 石原慎太郎さん/質せなかった「文人の心」(内田 淳二)2021年8月

 雪が降り積もる夜、石原慎太郎都知事を5時間、待っていたことがある。車から降りた彼にネタをぶつけると、話してくれたのは一言だけだった。「俺、きょう疲れてんだ」。ぐしょぐしょになった私の革靴に目を向ける間もなく、さっさと背を向ける。顔見知りのSPが後でそっと「大変ですね…」といたわってくれた。なぜか申し訳なさそうな表情をしていた。

 知事3期目。80歳近かった石原さんから見れば、30そこそこの都政担当はガキにしか見えなかっただろう。もともとマスコミなど眼中にない人だ。雪の中でも努力すれば報われる、なんて考えが甘かった。はて、しかし。あの時は何を聞こうとした日だったか。余計なことはよく覚えているのに、今となってはかけらも出てこない。10年前のことで浮かぶのはむしろ、できなかった質問だ。

 

■「天罰」と「花見自粛」の間に

 

 東日本大震災が起きた2011年3月。「(日本人の)我欲を一回洗い落とす必要がある。これは天罰だ」。石原さんはそう述べ、後に謝罪した。その是非はあらためて問うまでもない。私が納得いかないまま、聞くのをためらってしまったのは、同じ頃の会見であった花見自粛の呼び掛けだった。

 「花見じゃないんだよ。今ごろね。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」

 都政担当になって、よく耳にしたのは「知事の本質は物書きだ」という人物評だった。彼を知るには、作品も知る必要がある。そう思って読みあさるうち、その感性に驚かされる短編に出合った。モダンジャズピアニストの狂気を描いた『ファンキー・ジャンプ』(1959年)。即興のリズムそのものを文章で表すという難題をやってのけていた。ピアニスト山下洋輔さんの怪作『ドバラダ門』(90年)の30年前だ。

 「太陽の季節」が過ぎ去った後の石原さんしか知らない私は、認識をあらためた。それだけに、ずれたところで文学者の顔をのぞかせた天罰発言だけではなく、花見の自粛にもがっかりした。

 桜は古来、「生と死」を象徴してきた。桜を見れば、被災地を思う心情が生まれると考えるのが、文学者ではないのか。文人たちが桜をどう書いてきたか、よくご存じでしょうが、と。ただ、当時は自粛ムード一色で、「政治家」の発言としては正しかった。私は内心、つまらないことを言うなあ、と感じながらも、その点を質すことはできなかった。

 あれから10年がたった。都知事は次々と変わった。現知事の一期目にも都政を担当したが、石原さんを懐かしむ時があった。なんだかんだ周囲から愛されていた石原さんと違い、現知事は周りから人がいなくなるドーナツ化現象が起きていた。

 

■いつか文学談義してみたい

 

 88歳になった石原さんは今年5月、新著『あるヤクザの生涯 安藤昇伝』を出版した。実在した人物の一人称小説にもかかわらず、文体はいつもの石原節で、自身と重ね合わせた「俺小説」でもある。ただ、なお旺盛な創作欲にはやはり、物書きの性を感じざるを得ない。いつか、政治の話より文学談義がしてみたい。雪の夜のことなど、ささいなことも問うまい。一言目はガキらしく無邪気に、こう切り出したいと夢想する。ヤキが回ったんじゃないですか、石原さん。

 

 (うちだ・じゅんじ 中日新聞社東海本社報道部)

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