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イスラエル前首相 ベンヤミン・ネタニヤフさん/手段選ばぬ権力への執着(久下 和宏)2021年7月

 エルサレムの政府施設一室に海外メディアの記者約50人が集められた。颯爽と入室したイスラエルのネタニヤフ首相=当時=は全員から質問を募り、ホワイトボードに書き連ねていく。主要テーマはイラン核問題。2015年の核合意について、欠陥を見直さず放置すれば「イランは非常に短期間で核兵器を手にすることになる」「イランが核爆弾を所持する全ての道をふさいだとするが、事実は正反対」と流ちょうな英語でまくしたてた。質問した記者と目線を合わせ、厳しい言葉を重ねていく姿が印象的だった。

 

■4年間で直接質問は1度だけ

 

 この会見は4年超のエルサレム駐在中、ネタニヤフ氏に直接、質問することができた唯一の機会だった。会見は18年5月6日。2日後の同8日に当時のトランプ米大統領は核合意離脱を表明した。居並ぶ記者を前にネタニヤフ氏自らがイラン核合意の危険性を訴えるというパフォーマンスは、タイミングを考えれば、蜜月関係にあったトランプ氏への「ささやかな援護射撃」だったと思う。

 通算15年超も首相の座にあったネタニヤフ氏は「権力への強烈な執着」が印象的な政治家だった。首相続投のためなら、文字通り手段を選ばない。収賄や背任の罪で起訴され、公判が始まっても辞職の気配はない。「左派=国を脅かす存在」と訴え、国民を右派と左派に分断。これに反発する住民が首相公邸前などで毎週のように辞任を求めるデモを行っても、意に介する様子は全くなかった。

 

■ワクチンも戦闘も政治利用

 

 新型コロナウイルスさえも利用した。ワクチン確保のため、米製薬大手ファイザーの最高経営責任者に何度も電話をかけ、早期入手に道筋を付けたとされる。

 ワクチン代金を上乗せしたとも、接種結果提供を約束したとも言われ「自分が首相だからワクチンを確保できた」とアピールした。全ては首相続投のためだった。

 だが2年間で4度目となった今年3月の選挙でネタニヤフ氏が党首の右派「リクード」は第1党になったものの、支持勢力全体では過半数に及ばず。4月に組閣指示を受け、連立協議を行ったが、5月4日に断念。翌5日、野党党首が組閣指示を受けた。イスラエル軍とパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスの戦闘が起きたのはそんな時だった。

 5月10~20日の戦闘ではパレスチナ人約250人が死亡、イスラエル側でも10人超が死亡した。「戦争が起きれば、いついかなる時も国民は首相の下に結集する」。イスラエル人の同僚から何度も聞かされた言葉だ。周囲を敵対勢力に囲まれるイスラエルの国民は安全保障への意識が高い。続投に黄色信号がともったネタニヤフ氏がその国民性を利用し、戦闘で求心力回復を狙ったのは間違いない。

 加えてパレスチナで予定されていた選挙を延期し、批判にさらされていたアッバス自治政府議長は住民の関心を他に向ける必要に迫られ、選挙延期に反発するハマスが存在感を示す好機と考えていたという事情もある。背景は違えど3者とも「人命より政治的動機を優先した」のは明白だ。

 ただ戦闘終了後に「反ネタニヤフ」で結集した野党が連立政権を樹立。ネタニヤフ氏の思惑は外れ、退陣を余儀なくされた。復権はなく、汚職疑惑で収監されるのか。極右、左派、アラブなど寄せ集め所帯が率いるポスト・ネタニヤフ時代の針路は。まだイスラエルの動向から目を離せそうにない。

 (くげ・かずひろ 共同通信社札幌支社編集部次長)

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