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「戦後70年談話」を巡る攻防 /安倍氏は「侵略」を認めた(小田 尚)2021年1月

 長期政権を築いた安倍晋三前首相が昨年9月に病気辞任した際、その功績の一つとして挙げられたのが2015年8月14日に発表された「戦後70年談話」だった。

 読売新聞の報道によれば、安倍談話のポイントは次の通りだ。

 ▽日本は先の大戦への深い悔悟とともに、事変、侵略、戦争を二度と用いず、植民地支配から永遠に決別すると誓った▽先の大戦の行為に「痛切な反省」と「心からのおわびの気持ち」を表明した歴代内閣の立場は揺るぎない

 ▽寛容の心で、日本との和解に尽力してくれたすべての国々と人々に感謝する▽日本は「積極的平和主義」の下で、世界の平和と繁栄に貢献していく

 個人的には、安倍前政権下では安全保障関連法成立を巡る攻防と並ぶ、最大級の政治イベントだったと思う。安倍談話に対する内外の評価が、国内政局や首脳外交に直結しかねなかったからだ。

 結果的に、安倍氏は当初の歴史観に固執せず、各方面の声に耳を傾けて歴史を勉強し直し、国民を統合する方向に持っていった。そこには、報道や社説を挟んで首相官邸との駆け引きもあった。

 その意味で、70年談話に関わった兼原信克元内閣官房副長官補が雑誌「外交」2020年9/10月号のインタビューに応じ、こう語ったことには違和感を覚えた。

 「戦前から日本人が求めていた人種、宗教、民族などに関係ない自由で平等な国際社会が間違っていたわけではない。これが70年談話で示された新しい世界観で、国民には広く受け入れられた」

 「旧態依然の一部マスメディアが『四つのキーワード』云々という小手先の報道に終始して、談話全体の歴史観・世界観に踏み込まなかったことは残念だった」

 

■首相は「侵略」を避けたいのか

 

 確かに当時の報道は、読売新聞を含めて戦後50年の村山談話にあった「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」という四つのキーワードが70年談話に盛り込まれるかどうかに焦点を当てていた。

 だが、そうさせたのは、安倍氏だったのではないか。自分の談話に「侵略」と書くことに極めて消極的だったからだ。

 安倍氏は13年4月、国会で「侵略の定義は、学界的にも国際的にも定まっていない」と発言した。その年暮れには首相として初めて靖国神社に参拝している。

 15年4月20日のBSフジの番組では、安倍談話に「侵略」や「おわび」を盛り込むかを聞かれ、こう否定的な考えを示していた。

 「戦後50年の村山談話と60年の小泉談話と同じことを言うなら談話を出す必要はない。歴史認識については引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」

 これに対し、読売は4月22日の社説に「首相は『侵略』を避けたいのか」との見出しを掲げ、「戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい」と指摘した。

 侵略の定義については、国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない。

 日本が世界で初めて戦略的に戦闘機から爆弾を落とし、無辜の市民を殺害したことも、押さえなければならない。31年10月、石原莞爾が率いた関東軍による中国東北部・錦州爆撃である。

 これは民間人に対する無差別・無警告の空爆だった。日本は戦線不拡大を表明した後に、11機で25㌔爆弾を75回落としたという。空爆は上海、南京、重慶へ対象が広がり、重慶では3000人から万単位に死者を増大させている。

 無差別・無警告の空爆は、1936年3月、イタリアがエチオピア制圧に使用し、37年4月のドイツによるスペイン・ゲルニカ爆撃に及んだ。日本は、東京大空襲、広島、長崎への原爆投下という形で「報復」されたとも言える。

 日本は1952年のサンフランシスコ講和条約で、日本の戦争は違法な侵略戦争だったと認定した東京裁判の判決を受け入れて独立を果たした。こうした史実を踏まえないと、日本の侵略を否定する議論が出てきかねない。

 

■「歴史修正主義」の疑念晴らす

 

 安倍氏の手元には、読売新聞戦争責任検証委員会による『検証 戦争責任Ⅰ』『Ⅱ』(中央公論新社)もひそかに届けられた。

 最終的に、安倍談話には四つのキーワードがすべて入った。

 2015年8月15日の読売社説は、談話を受け、こう書いた。

 「『侵略』の客観的事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本を貶めることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、『歴史修正主義』といった一部の疑念を晴らすことにもなろう」

 「侵略」を認めたのは、戦後70年談話に関する有識者懇談会で座長代理を務めた北岡伸一国際大学長(当時)の存在も大きい。

 北岡氏は15年3月9日、都内でのシンポジウムで「たくさんの中国人を殺して誠に申し訳ない、ということは、日本の歴史研究者に聞けば、99%がそう言う。私は、安倍首相に『日本は侵略した』と言ってほしい」と語っている。

 これで北岡氏の身辺警護が強化されたが、その後も懇談会での議論をリードし、8月6日の報告書には「大陸への侵略を拡大し、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」と明記された。

 安倍談話には、日本が「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」もきちんと記されている。

 1000万人が戦死した第1次世界大戦後、世界は国際連盟を創設し、不戦条約を結んだ。戦争の違法化という潮流が生まれた。

 世界恐慌が襲い、欧米が植民地を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本は行き詰まりを力の行使で打開しようとした。

 日本は世界の大勢を見失い、満州事変、国際連盟脱退で新しい国際秩序への挑戦者になった。針路を誤って、敗戦した――と。

 こうした談話の歴史認識を、米国は高く評価した。中国、韓国は批判しても抑制的だった。

 

■国民のコンセンサスの契機に

 

 村山談話と小泉談話は「私」が主語なのに対し、安倍談話は自分の言葉で「おわび」していないという批判があったが、的外れだ。安倍談話は、直接話法と間接話法の二重構造になっている。

 直接話法の「深く頭を垂れ、痛惜の念を表す」は、2000年2月16日のドイツのヨハネス・ラウ大統領がイスラエル国会で演説した時、ホロコーストについて「謙虚に頭を垂れ、赦しを乞う」とした言葉を元にしている。

 間接話法としては、村山談話からの引用によって「我が国は」という主語で日本が先の大戦について「痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と明記した。これなら左派から中道まで広く安倍談話を支持できる。

 おわびはこれきりというのも重要だった。安倍談話には、戦争に何の関わりのない世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とあり、右派も納得した。

 安倍氏は、談話発表時の記者会見で「できるだけ多くの国民と共有できることを心掛けた」と語った。読売新聞世論調査では、談話への支持が不支持を大きく上回った。安倍氏はリスク・コントロールに成功し、政局を封印した。

 後日、首相官邸筋に「あの談話は、ほぼ読売―北岡のラインでまとめられた」と聞いた。

 振り返れば、安倍談話は、国内的には歴史認識を巡る左右の対立に一定のピリオドを打ち、国民のコンセンサスが生まれる契機と土台になり得たのではないか。

 

 

 おだ・たかし 1951年生まれ 78年読売新聞社入社 東京本社政治部長 調査研究本部長 専務取締役論説委員長 副社長・論説担当(グループ本社論説主幹)などを経て 2018年退職 調査研究本部客員研究員 国家公安委員会委員 17年から18年まで日本記者クラブ理事長

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