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中国・人権派弁護士の妻、李文足さん/夫の救援活動通じ「強い女性」に(井上 波)2020年9月

 私が初めて李文足さんと会ったのは2016年の1月。夫で人権派弁護士の王全璋氏が拘束されてから、半年近くが経っていた。当時既に当局の監視対象となっていた彼女は、同じく夫を拘束された仲間と3人で、尾行を気にしながら北京市内の料理店の個室まで会いに来てくれた。当時28歳。色白でパッチリとした瞳が印象的だった。

 2015年の7月9日から10日にかけて、中国全土でおよそ300人の人権派弁護士や活動家が一斉に拘束された「709の大拘束」。王全璋氏は、冤罪や宗教弾圧事案を手がけるなど、〝弱者の味方〟を信条とする弁護士だった。

 9歳年上の夫と出会った時、文足さんは〝人権派弁護士〟が何かもよく知らなかったという。中国では珍しい専業主婦。夫に頼り切ってきた様子がうかがえた。「なぜ私の夫がこんな目に遭わなくてはならないの?」。2歳になったばかりの息子を抱え、彼女は途方に暮れて、心細そうに泣くばかりだった。

 以来、帰任するまでの約3年間、私は彼女を何度となく取材した。門前払いと分かっていても、毎月のように天津の拘置所に面会に通い、あらゆる陳情窓口を訪れて夫の無実を訴え続ける彼女の姿を伝えなければならないと強く思った。

 

■自宅軟禁中、団地の住民が監視

 

 私が最も衝撃を受けたのは、2018年に起きたある出来事だった。文足さんが活動中に拘束され、自宅軟禁になっていると聞いて、北京市内の団地に駆け付けると、辺りは物々しい雰囲気に包まれていた。建物を取り囲む大勢の人々。見上げると、文足さんが自宅の窓から身を乗り出して叫んでいた。

 「私の夫は人のために働く弁護士なのに、なぜこんな目に遭わなくちゃならないの?」。彼女の家を取り囲み、監視していたのは、団地の住民たちだった。警察は彼らに〝非国民〟を見張るよう指示していたのだ。もちろん中国のメディアでは何の報道もされていないので、住民たちは真実を知る由もない。

 突然近くで騒ぎが起きたので様子を見に行くと、一緒に来たカメラマンが、住民たちに取り囲まれていた。「日本のメディアが何をしに来たんだ!」。 怒声が響く。近くには見たことがある私服警官もいたが、見て見ぬ振り。中国で取材をしていると警察に拘束されたり、取材を妨害されるのは日常茶飯事だが、この時ほど恐怖を感じたことはなかった。市民による吊るし上げ…文化大革命の時もこんな雰囲気だったのだろうか? 

 

■彼らを守る国際社会の目

 

 王全璋弁護士は「国家政権転覆罪」などで4年6カ月の実刑判決を受け、今年4月に出所した。家族は再会を果たしたが、弁護士の資格は剥奪され、いまも当局の厳しい監視下にある。それでも王氏は自由を脅かされる人々の支援を続けたいと話し、李文足さんもそんな夫を支えていくという。出会った頃は泣いてばかりいた彼女は、いつの間にかとてつもなく強く、たくましい女性になっていた。

 この5年間、李文足さんや仲間たちの活動を見守り続けてきたのは我々日本や欧米、そして香港のメディアだった。国際社会の目がかろうじて彼らの存在を守っていると言っても過言ではないだろう。

 だからこそ、最近の香港の状況を見ていると、李文足さんや仲間たちのこれからが平穏であってほしいと祈らずにはいられない。

(いのうえ・なみ TBSテレビ国際戦略部長)

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