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性差別に苦しむ女性に寄り添う 河野和代さん/「私は私であっていい」社会へ(乾 栄里子)2020年5月

 3月8日の国際女性デー。徳島新聞には「徳島県は審議会の女性比率が全国1位」とうたう県の広告が掲載された。男女共同参画に関わる各種統計は軒並み優秀で、徳島は女性が元気な土地だといわれている。

 だからといって性差別意識や男尊女卑思想が希薄なわけではなく、DVや性暴力、性差別により苦しむ女性は多い。彼女たちの声に耳を傾け、地域社会に向けて女性を巡る問題の深刻さを訴え続けてきたのが、徳島市で「ウィメンズカウンセリング徳島」を主宰するフェミニストカウンセラーの河野和代さん(58)だ。

 「すっごい良かったやろ? 彼女の言葉をシャワーのように浴びてきたから、今の私がある」。徳島で生まれ、米国からフェミニストカウンセリングを日本に持ち込んだ河野貴代美さんの著書『わたしを生きる知恵―80歳のフェミニストカウンセラーからあなたへ』の出版記念講演の後、和代さんは声を弾ませた。「彼女」とはもちろん、師匠の貴代美さんである。

 

■転機となった父の自死

 

 和代さんは家屋や土地を相続する「跡取り娘」として大切に育てられた。「かまどの灰まで和代のものだ」と言われ、「お前が男だったらなあ」とつぶやく父には「私が将来、男の子をプレゼントする」と応えた。家庭に染みついていた家父長制を、なんの疑問もなく受け入れていた。

 その価値観は、21歳の時に崩れ落ちたのだという。病気になり「治るが働くことは難しい」と告げられた父が、自死を選んだのだ。父は家族のために働けない自分を許せなかったのではないか、「社会的な男性の価値」のようなものが父を死に追いやったのではないか―。直感めいた思いと、なかなか対峙できないでいた。

 その頃出会ったのが、貴代美さんだった。講座に通いつめてフェミニズムに触れ、和代さんは父を追い詰めたものの正体を確信した。貴代美さんから学ぶことで心の整理をつけて足かせを外し、「私は私であっていい」という人生の指針を獲得していった。

 「自分自身以外のものに、自分を合わせるのはやめた」と和代さんは言う。1997年にカウンセリングルームを始めて以降、生きづらさを抱える女性に寄り添い、講演などを通じ男女不平等社会のいびつさを問い掛けてきた。

 

■地域で地道な草の根活動を継続

 

 和代さんは記者(乾)が取り組んできた性暴力の連載に協力し続けてくれていたが、昨年度はこれまで以上に取材の機会があった。月1回のフラワーデモだ。徳島で主催していた彼女は「女性たちの怒りや悲しみが頂点に達して徳島でもデモが始まった。ふたが開いた気がする」と話してくれた。

 ふたはなぜ開いたのか―。昨年3月に相次いで下された性犯罪の無罪判決に憤り、行動を起こした女性たちの輪が全国に広まった。しかし、理不尽な判決はこれまでもあったはずだ。声を上げられるようになったのは、和代さん世代のフェミニストたちが、全国各地でこつこつと草の根活動をしてきてくれたおかげだろう。

 貴代美さんら日本のフェミニストの草分け的存在の方々から和代さんの世代は重責を引き継ぎ、フラワーデモが湧き起こる土壌をつくってくれたのだと思う。女性が女性であるがゆえの苦悩を抱えることなく、「私であっていい」と自信を持って生きられる社会へ。バトンを受け取り、決して落とさぬよう走り続けねば、と思う。

 

(いぬい・えりこ 徳島新聞社報道部)

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