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アポロの月着陸、もう1つの取材余話 (柴田 鉄治)2019年12月

月からの第一声

アポロの月着陸の取材余話として、日本の自動車産業の技術が飛躍的に向上したことは、日本記者クラブ会報(2016年8月号)に書いたので、もう1つの取材余話を記す。

 

アポロ11号のアームストロング船長とオルドリン飛行士が月に降り立ったその日、私は米ヒューストンの有人宇宙センターの記者室で、月から送られてくるテレビ画面を見ながら歴史的な「月からの第一声」を待ち受けていた。

 

アームストロング船長は、決っていた通り左足から第一歩を踏み出すと同時に、何かしゃべったが、英語に弱い私は、すぐ米国人の助手たちに「いま何と言った?」と聞いてみた。すると助手たちも「よく聞こえなかった」というのである。

 

しばらくすると、東京の本社とつなぎっぱなしの専用電話から「第一声」の内容が日本語訳付きで伝わってきた。「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な前進だ」というのである。

 

この言葉を聞いた瞬間、私はちょっとがっかりした。これでは、前々から考えていた内容で、妙に理屈っぽく、初めて月面に一歩を記した感激の言葉ではないと思ったからだ。

 

人類が初めて宇宙に飛び出したのは、1961年の旧ソ連のボストーク1号のガガーリン宇宙飛行士である。その時の宇宙からの第一声は「地球は青かった!」だった。これこそ、文句なしの第一声で、「驚き」「感動」があった。

 

したがって、月面からの第一声も「月の砂はとても柔らかい!」とか「重い宇宙服なのに飛び跳ねるような身の軽さだ!」といったような実感を言葉にしてくれたらよかったのに、と思ったのである。

 

米ソの宇宙開発競争では、前半はソ連の圧勝だった。スプートニク1号も、人間衛星1号のガガーリンも、女性宇宙飛行士第1号の「ヤー・チャイカ(私はカモメ)」と叫んだテレシコワも、すべてソ連で、それを逆転しようとケネディ米大統領が打ち出したのが月着陸を目指すアポロ計画だったのだ。

 

宇宙開発競争では逆転したが、第一声では逆転とまではいかなかった。いや「ソ連の勝ちのままだ」というのが私の判定である。

 

アームストロング船長が亡くなった年後の今年、私が参加している俳句会でよんだ句は『名月や「小さき一歩」の人逝きぬ』だった。

                      (元朝日新聞社会部長 201912月記)

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