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ベルリンの壁、崩壊から30年/北朝鮮訪問記(柴田 鉄治)2019年11月

 ベルリンの壁が崩壊してから30年がたった。その直後に、別の取材でヨーロッパに出張した私は、ベルリンに行って崩壊した壁を見に行った。壁が取り除かれた台の上に大勢の市民たちが登って、お祭り騒ぎを続けていた。東ドイツの人たちにとっては、長い、長い「忍耐の日々」だったのだろう。この壁を乗り越えようとして、130人もの東独市民が殺害されたのだ。

 私も壁のあとの台の上に立ってみた。壊れてしまえば、ただの台座でしかない。こんなものが、第次世界大戦のあと、世界を東・西2つに分けていた元凶だとは、とても思えない代物だった。

 ナチスドイツと日本が降伏して、第2次世界大戦が終わったとき、「もう戦争はこりごりだ」という空気が世界を覆い、日本に9条を含む新憲法が生まれて、反戦思想が広まるかに思われた矢先に、またまた米ソが対立して世界を真っ二つに割る東・西対決の時代が到来してしまったのである。

 朝鮮戦争からベトナム戦争、アフガン戦争と東・西対決の戦争も絶えず、背後に米ソ両国が核兵器を持って対峙するという暗い空気が世界を覆っていた。それだけに、ベルリンの壁の崩壊からソ連崩壊と続き、「今度こそ世界は平和になる」と期待を抱かせたのだ。

 それから30年。現代社会を見渡すと、またまた「期待は裏切られた」という思いがあるが、実は、私の取材余話というのは、ベルリンの壁崩壊からさらに20年余がたった2013年のことなのである。

 同年月、私はジャーナリスト集団の一員として北朝鮮を訪問した。第2次大戦の結果として、国が二つに割れたのがドイツと朝鮮半島だった。ベルリンの壁崩壊とともに、ドイツは統一されたが、朝鮮半島は南・北が朝鮮戦争を戦った後遺症もあって、統一の機運はまったくなかった。

 朝鮮戦争は休戦協定を結んだだけで米国と北朝鮮の間はまだ戦争が終わってはいない状態で、日本と北朝鮮との間には国交もない。しかし、北朝鮮は外貨の獲得を目指して、日本からも観光客を受け入れている。私たちジャーナリスト集団もその一環だった。

 北朝鮮は、3代目の金正恩委員長が就任にして間もなくで、ピョンヤンにディズニーランドのような遊園地を造ったり、サッカー学校を造ったり、いろいろとニュースもあったが、今回は「戦前の日本とそっくりな国だな」という私の印象を記すだけで、本論に戻ろう。

 私たちジャーナリスト集団に対して、北朝鮮政府の要人が記者会見に応じてくれたときの話である。私はそのとき、真っ先に手をあげて「ドイツは1つになったが、朝鮮半島も1つになる気はありませんか」と聞いたのだ。答えは意外にも「あれは吸収合併でしょ。あれではダメです」というものだった。

 私は、ちょっと驚いた。いま合併したら韓国に吸収合併されると、北朝鮮政府の役人が知っていた、いや、はっきり言葉にしたことに、である。

 そこで、私は次の質問をしようかと、ノドまで出かかった言葉を、なぜかのみこんでしまった。その質問とは「ドイツのメルケル首相は、東ドイツの出身です。南・北の合併も金正恩氏が大統領になるのなら、認めますか」というものだった。

 この質問をなぜしなかったのか、自分でもよく分からない。『それなら喜んで』といった答えで済めば大成功だが、『バカにするな。金正恩閣下をなんと思っているのだ』と叱られそうな気もしたのである。

 結局、私の取材余話は、中途半端に終わってしまった。新聞記者の現役を終わって20数年、記者魂も弱くなってしまっていたのだろう。

                               (元朝日新聞社会部長 2019年11月記)

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