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イラストレーター・田村セツコさん/「発展途上が一番おしゃれよ」(青柳 絵梨子)2019年11月

 「ハッピー」なたたずまいの奥にある、寂しさや切なさ。いつも発展途上の気持ちでいることの若々しさ。イラストレーターの田村セツコさん(81)からいただいた数々のメッセージは、あれから何年たっても、私を励ましてくれている。

 田村さんは少女誌のおしゃれ通信や名作『赤毛のアン』などの挿絵で知られる。お茶目で楽しそうな少女たちの絵は、時代を超えて女性に愛されている。

 2012年の秋、田村さんは東京の弥生美術館で初の回顧展を開いた。その名も「HAPPYをつむぐイラストレーター 田村セツコ展」。私は10代少女たちのファッションなどの「かわいい文化」を連載していて、日本のそれを牽引してきた田村さんに学ぶため、内覧会へ出かけた。

 

■銀行を辞め絵一筋に

 

 トークイベントで司会に呼び込まれた田村さんは、ひらひらと軽やかに現れた。ファッションは個性的で、真っ赤なリンゴのモチーフを付けたベレー帽に、白のパフスリーブブラウスとふわふわのロングスカートをまとっていた。声は明るく、会場に来ていた友人の作家をトーク相手に巻き込み、コーラス仲間と自身のテーマソングというデビー・レイノルズの「TAMMY」を合唱していた。周囲に幸せな気分を振りまく妖精のような人だと思った。

 その頃、連載の下調べで多数のファッション誌をめくっていた私は、「ハッピー」という記号に辟易していた。目に飛び込んでくる文字を組み合わせれば「愛されてモテればハッピー♪」なのである。でも、田村さんのそれは違った。

 田村さんは高校時代、画家の松本かつぢに弟子入りした。しかし、画家が不安定な職業だと分かって、卒業後は銀行に就職。帰宅後に絵を描き、月に一度、師匠宅で勉強した。ある日、師匠が少女誌の仕事を紹介してくれた。田村さんは夜な夜なカットを描いては、銀行の昼休みに出版社に届けたが、師匠の恩に報いるため、絵一筋で生きていくことに決めた。

 厳しい道のりだった。仕事はなく、数年はつらかった。銀行を辞める時、両親に経済的な負担をかけないこと、愚痴をこぼさないこと、後悔しないことを誓っていたから、うまくいかなくても「うまくいってる」と話していた。不安で、寂しくて、神保町の交差点で涙をこぼしたこともあった。

 

■自分を元気にしたい少女を描く

 

 田村さんの「ハッピー」は孤独も、挑戦も、山あり谷ありの人生も、ひらりひらりと生きていく知恵も含んだ力強いものだった。田村さんは自身が描く少女たちの性格について「エスプリを感じさせるような。自立。甘えがないのかな。なんか、男性からカワイイと思われたい子じゃないんです。自分を元気にしたい子ね」。今も現役で、女性たちを励まし続けている。

 もう一つ、印象深い言葉がある。ある日、「どうすれば絵をうまく描けますか」と聞くと、「うまく描こうっていう意識は、本当は邪魔なの」と言う。「自分はうまい」と思って描く人の絵からは、おごりが出てしまっているのだそうだ。「『私、下手なんです』と言ってる人の絵はずっと若々しい。謙虚でいられるから。発展途上が一番おしゃれよ」「うまいことより大切なのは、その人の気持ち。破れ目があった方が、魅力があふれる。可能性がそこからスパークするのよ」。すがすがしい気持ちになったことを覚えている。

 

(あおやぎ・えりこ 共同通信社札幌支社編集部)

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