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第2回アジア経済視察団(2002年2月) の記事一覧に戻る

タイムリーだった陳、アロヨ会見 日本を見るアジアの目変化が(団長 朝日新聞社 桐村英一郎)2002年2月

「フィリピンと台湾? おいしそうな出張ですね」。出発前にうらやましがられたが、なんのなんの。スケジュールはびっしり、ホテルに帰るとぐったり、の毎日だった。

 

おまけに団長。これが働かされた。中国式というのか、要人の会見は隣に、記者団と向かい合わせで座らされる。こちらが首相や社長ならともかく、同じ記者だ。あいさつ、質問、メモ、はたまたメンバーの録音機がいつ止まるかまで目配りする忙しさだった。

 

肝心の成果は? 自画自賛するわけではないが、大いに上がったと思う。フィリピンではアロヨ大統領、台湾では陳水扁総統、李登輝前総統に会い、たっぷり考えを聞いた。マレーシア、インドネシア、タイを回った第1回視察団は、それぞれ最高指導者と会見した。その実績を汚さず、引き継ぐことができた。

 

とりわけ陳総統会見は、台湾入りするまで「今回は無理」といわれたが、粘り強く求め、最終日それも飛行機に乗る数時間前に実現した。李前総統が「会うべきだ」と総統府に直接働きかけてくれたことが決定打になったようだ。

 

陳総統は国民党が大敗した昨年12月の立法院選挙後、日本人記者に会っていない。時あたかも北京で全人代が開幕、前日には米台断交以来、初の台湾国防部長の訪米が決まるなど、グッドタイミングであった。

 

日本記者クラブのミッションは大事にしようという姿勢はフィリピンも同じ。就任2年目のアロヨ大統領は焦点となっている米比合同軍事演習の現地を視察、首都に戻ったその足でわれわれに時間を割いてくれた。場所はマニラ空港に隣接した空軍基地。アジアの鼓動が伝わってくるセッティングだった。

 

バブル崩壊、経済の長期低迷は、日本に試練を与えているが、アジアにとっては日本への目線を下げる役割を果たした…。今回の旅でそう感じた。見上げる、まぶしい存在から、自分たちと悩みを共有する「普通の国」へ接近したことは、ある意味でよかったのではないか。

 

「なぜ社会構造改革に手間取るのか」と聞かれたアロヨ大統領は、「構造改革はどの国でも難しい。日本だって10年も苦しんでいるではないか」と切り返した。台湾の松下幸之助といわれる財界の大立者、王永慶・台湾プラスチック会長には「日本は変化への対応が遅い。君たちの意思もそうではないか」と皮肉られてしまった。

 

フィリピン、台湾を通じて、対日輸出をしにくくする円安政策への不満をほとんど聞かなかった。これも「体力を消耗している日本に文句をいっても仕方がない」という気持ちがあるように思えた。

 

アジアの目は政治、経済とも米国と中国に集中している。日本批判がないのは「ジャパンパッシング」や「ジャパンネグレクティング」ゆえだったら、喜んではいられない。

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