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米国の遺産・空洞化(副団長 日本経済新聞 土谷英夫)2002年2月

両国に縁の薄い私には、フィリピンは24年ぶり、台湾にいたっては31年ぶりの訪問だった。

 

マニラ首都圏の新都心の高層ビル街には別の国に来た思いがしたが、広大なスラムに足を踏み入れると、大多数の国民の生活向上は遅々としたものであったと思われた。

 

かつて蒋介石総統の肖像があふれていた台北は、様変わりで「7イレブン」と「日本式」焼肉店がやたらに目立つ街を歩けば、日本の都市にいるような錯覚にとらわれた。

 

戦後日本にあてはめると、フィリピンは昭和30年前後か。台湾は昭和50年代の印象である。

 

経済の先行きを占えば、フィリピンは「米国の遺産」の活用が鍵を握る。一般労働者も読み書き話せる英語パワー、そして返還されたスービック(海軍)、クラーク(空軍)の旧米軍基地のインフラなどである。

 

スービック工業団地に進出したオムロン工場は、ATM(現金自動預払機)の部品など「日本でしかできない」と思われた多品種少量生産の製品を日本より30%安くつくる。

 

末端従業員にまで英語で細かい指示が出せる。旧基地の空港から毎日飛ぶ貨物便で翌日には日本の本社に製品が届く物流の便。グローバリゼーションの時代に、米国の遺産はこの国に大きな可能性を与えている。

 

一方の台湾は昨年、過去50年で初めてマイナス成長に陥った。日本の後を追うようにデフレが進行、不良債権問題や、中国の「世界の工場」化に伴う空洞化懸念も同じだ。

 

台北近郊、中和市の台湾松下電器で悩みの一端に触れた。同社の清算のピークは1996年で、当時、5700人近くいた従業員は、毎年ほぼ500人のペースで減少。同じ年、大陸のアモイで始めた子会社は、ちょうどその分雇用を増やしている。労働者の賃金は十分の一という。

 

「緑のシリコン島」を標ぼうする台湾経済の前途は多難とみた。

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