ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


第1回アジア経済取視察団(2000年12月) の記事一覧に戻る

マハティール、ワヒド会見が実現―21世紀に挑戦する3カ国―(団長 日本経済新聞社 熊村剛幸)2000年12月

1997年に深刻な金融通貨危機に見舞われた東南アジア各国は、それぞれの方法で乗り切り、経済再建に取り組もうとしている。日本記者クラブの第1回アジア経済社会視察団として訪問したマレーシア、インドネシア、タイの3カ国では、21世紀の経済発展へ向けてたくましく挑戦するアジアの熱気を感じた。

 

視察団は昨年12月3日から14日まで、クアラルンプール、ジャカルタ、バンコクの3首都を訪問した。マレーシアではマハティール首相、インドネシアではワヒド大統領、総選挙中のタイでは次期首相候補のタクシン愛国党党首と会見したのをはじめ、各国駐在の日本大使、3首都の日本人商工会議所会頭とも懇談した。

 

これほど多くの政府首脳から各国経済の現状を直接取材できたのは、各首脳との交流を続けてきた日本記者クラブの日ごろの活動の成果といえる。NTTコミュニケーションズ、松下電器産業、三洋電機、本田技研工業など、各地で”元気な”日本企業も見学できたが、現地にいてもなかなか会えない政府首脳との会見には、マスコミ各社の特派員も参加した。

 

一連の会見を通じて、3国の経済はともに最悪期を脱しつつあるのがうかがえた。ただ、国際通貨基金(IMF)の処方せんを拒絶して独自路線をとったマレーシア、処方せんを丸飲みしたインドネシア、IMF支援を「卒業」しようとするタイという具合に、歩む道はそれぞれ異なっていた。

 

経済再建の方法もさまざまだ。マレーシアは「マルチメディア・スーパーコリドー」計画で情報技術(IT)産業の国際基地を目指す。インドネシアは大規模な国債発行によって金融システムを再編しようとしている。タイ愛国党は農民の債務の3年間猶予構想を発表して支持を拡大していた。

 

この中で、私にとっては14年ぶりに訪れたインドネシアは、何もかも変わっているように見えた。経済危機の荒波を受けて、30年以上にわたるスハルト体制が崩壊、ジャカルタには新時代の担い手となる「中産階級」が台頭していた。

 

ジャカルタ中心部の町並みは一変、高層ビルが立ち並ぶ。ブランドものをそろえた大型ショッピングセンターは、断食明けとクリスマスを控えた買い物客でごった返していた。幹線道路ではかつての三輪自動車「バジャイ」に替わり、3カ月待たないと入手できないという大衆車が大渋滞をおこしていた。

 

個人消費の拡大が経済回復を引っ張る中で、スハルト体制の「負の遺産」の清算に追われているワヒド政権は、「合併によって、これまで100以上あった銀行を50以下に減らす」(蔵相補佐官)などの経済再建策を進めている。ユドヨノ調整相(政治・社会・治安担当)は「時間はかかるが、いずれ年6-7%成長まで回復できる」と楽観的な見通しを示した。

 

経済再建を進めるには、政治の安定が不可欠。勢いづいてきたアチェ、イリアンジャヤ独立の動きに対して、ワヒド大統領は「できるだけ話し合いによる解決を図りたい」としながらも、武力行使も辞さぬ強い姿勢を明らかにした。「私の任期は2004年まである」と政権維持に意欲を見せる同大統領に率いられ、インドネシアは新たな世紀に入ろうとしていた。

ページのTOPへ