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「住まいの復興」テーマに連載 まだ1万人余が仮設暮らし(河北新報社 元柏和幸)2019年3月

東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から8年を前に、河北新報社は1月21日から長期連載「安住の灯(ともしび)―震災列島に生きる」を開始した。災後の混乱で身を寄せた避難所、プレハブや借り上げなどの仮設住宅、そして自宅の再建や災害公営住宅への入居へと続く「住まいの復興プロセス」を改めて問い掛けたいと思っている。

 

なぜ、住まいなのか。今伝えるべき被災地の断面を考えた時、いまだに窮屈な仮設暮らしを強いられる人々の存在が気に掛かっていた。大震災後に供給された仮設は、プレハブなどの約5万3000戸を含む計約14万戸。岩手、宮城、福島3県のまとめによると、今年1月末時点で1万358人が取り残されている。

 

東京五輪・パラリンピックが開催される来年には災害公営住宅などへの転居が促され、これほど仮住まいが長期化した現実は忘れ去られるだろう。「復興完遂」「復興五輪」のフレーズにかき消されそうな、一番歩みが遅い被災者の姿に焦点を合わせなければならないと考えた。

 

■北海道、熊本の被災地も取材

 

第1部では、8度目の冬を迎えた仮設を訪ねた。宮城県気仙沼市の高齢男性は、再建した自宅に帰る願いがかなわずに着工の半年前に亡くなった妻の遺影を前に一人、悔恨の日々を送っていた。岩手県陸前高田市の4人家族は、物があふれかえる9坪のプレハブで、食卓も囲めない生活をずっと余儀なくされていた。

 

かつて約540世帯が暮らした宮城県石巻市の仮設団地は、廃墟と化した状況に十数世帯がひっそり生活していた。家族や経済的な事情など複雑な問題を前に、取材が難航する場面も少なくなかった。悩みと迷いの果てに刻まれた仮設の長い歳月は、復旧復興にもがき続ける被災自治体の8年が凝縮されていたと痛感する。

 

第2部では、地震から5カ月がたった北海道、2年10カ月の熊本から、それぞれの時間軸で抱える仮住まいの実態をまとめた。仮設の仕様など教訓が生かされた部分もあるが、大型の復旧復興事業に押し出されて個々の生活再建が遅れる現状は東北がたどった軌跡とほぼ同じだった。

 

仮設を出た後に待ち受ける、自宅建設の重い負担や新たな地で再出発する不安。災害公営住宅の孤独や孤立。原発事故で福島を離れ、いまだに住まいを漂流する避難者ら、取り上げるべきテーマは山積している。

 

■「制度のゆがみ」直視が必要

 

取材を通じ、苦しい経験を繰り返さないために何を訴えるべきか、「被災地責任」を意識するようになった。災害救助法は一時住まいの現物給付が原則で、入居の長期化に即していない。新たに家を建てるにも、被災者生活再建支援法の上限300万円ではとても足りない。災害公営住宅は入居4年目から収入要件で家賃が引き上げられ、子育て世帯などの退去が相次ぐ。現状の法制は被災者にとって支援の道筋が連続していない。復興に向かう過程と地域コミュニティーを分断し、選択肢が狭められている。

 

復興の遅れが語られる際、安易に人口減少や少子高齢化とくくられることに違和感を覚えていた。それは現象であり、日本全体の構造であり、原因ではない。30兆円を超える国の予算が投入され、全国から応援のマンパワーが供給されたにもかかわらず、まちの礎となる住まいすら整えられずにいる。根本にある制度のゆがみに目を向ける必要がある。

 

ある研究者は「仮設間の転居を強いられる状況は、日本の災害史で初の事態」と指摘した。阪神・淡路大震災を経験した研究者は、総合的な被災者支援法制の創設を提言する。古里に帰りたい。安らぎの場を取り戻したい。ささやかな帰心の灯を守るため、何をすべきかを考えなければ、長く過酷な生活に耐えた被災者は報われない。

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