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日常取り戻す動き活発に(福島民友新聞社 辺見祐介)2019年3月

「これからが富岡の始まりなんだ」。今年1月に福島県富岡町の町民有志が原発事故避難を題材に企画し、町文化交流センターで上演した町民劇。演者たちが繰り返すセリフには古里の未来を自ら描こうとする強い意志がにじみ出ていた。東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から8年。被災地の住民はそれぞれの役割について考えを巡らせながら、古里の再生に挑戦している。

 

原発事故による避難指示は帰還困難区域を除いて、ほぼ解除された。福島民友新聞社が復興最前線の取材拠点として支局を置く富岡町は福島第一原発から半径20キロメートル圏内にある。2017年4月に町の面積68平方キロメートルのうち、8割強を占める58平方キロメートルの避難指示が解除され、残る10平方キロメートルが帰還困難区域だ。

 

現在、町に戻った住民は住民登録のある約1万3千人の1割に満たない約850人。避難先で新たな仕事に就いたり、子どもが進学するなど生活拠点を町外に移した若い世代も多く、帰還の動きは鈍い。長期化する住民避難により建物は劣化し、解体が進む。町中心部を東西に走る県道沿いの約500メートルにわたり、精肉店や鮮魚店、雑貨店など約60店舗が軒を連ねていた中央商店街は、更地が広がり往時の面影はない。それでも、再び古里に根を張った住民は力強い。

 

■初のフィットネスクラブも

 

1月に約7年9カ月ぶりに帰還した女性は早速、町内に民間で初となるフィットネスクラブを開設した。なじみのない土地で避難生活を送る中、引きこもりがちとなり体重の増加や体調を崩した知人も多いという。65歳を過ぎて要介護度2以上にならず、健康に過ごせる期間の平均を算出した指標「お達者度」の2016年データによると、同町は男性が16.88年、女性が19.76年。いずれも全国平均(男性17.92年、女性20.94年)を下回り、県内59市町村の中でも特に短い。この女性はスポーツを通して住民の健康を支えようと心を砕いている。

 

福島第一原発や復興の現場で働く作業員らにひとときの癒しを提供したいと、酒やカラオケを楽しめる飲食店を開業した男性もいる。自宅脇に新築した店舗で客は酒を酌み交わし、代わる代わるマイクを握る。「原発が廃炉になったら、どうやって食っていけばいいのか」。ある夜、焼酎をあおりながら東電の協力企業の男性が息巻いた。町内で数少ない酒場で、客たちは時に愚痴をこぼして気持ちを切り替え、また明日へと向かう。

 

福島民友新聞社は、県内各地で知恵を絞りながら復興や元気な地域の姿の発信に奮闘する「人」に、光を当てている。観光再生を願い沿岸部の国道沿いに桜を植え続ける女性、住民目線で復興状況を発信する情報館を開設した男性―。帰還する住民の数が伸び悩み、行政が妙手を見出せないなか、自らあの手この手で古里の魅力を高めて関心を引き寄せようと行動する住民も増えている。

 

■「海洋放出」は風評懸念も

 

かつての日常を取り戻そうとする動きが活発になる一方で、依然として風評の壁は厚い。特に沿岸部の住民は、福島第一原発で保管が続く放射性トリチウムを含む処理水の処分方法について、議論の行方を注視している。国や東電はコスト面などを踏まえ海洋放出を有力視するが、地元漁業者の多くは反対の立場だ。ある地元の漁師は「海洋放出は原発事故前も行っていたし、最も現実的なのは理解している。でも、マスコミは危険だとあおり立てるだろう」と嘆いた。つまり、漁業者は海洋放出自体が危険だと思っているのではなく、あたかも福島の海の危険性が増したかのように報じられることで、県産魚介類の買い控えが進み、漁業が再起不能になることを恐れているのだ。多くのメディアは風評の払拭に向けて努力しているが、表面的な報道に終始すれば逆効果になる恐れがある。風評に苦しむ人の本音に向き合い、改めて問題の本質を捉えた報道に努めたい。

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