ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


3・11から8年:今どう伝えるか(2019年3月) の記事一覧に戻る

視覚で伝える3.11:デザイン グラフィックの力で風化に抗う(朝日新聞社 炭田千晶)2019年3月

朝日新聞社では毎年11月ごろから、各部や総局の担当者が集まり、翌春の震災報道で何を伝えるかの議論を始める。ここ数年は、テーマを絞った「この年ならではの報道」を心がけている。今年は、南北に分かれていた三陸鉄道が一本につながることや釜石でラグビーW杯が開かれることから、別刷り特集のコンセプトを「地域も人もつながり、動き出す」とした。デザイン部も、テーマ設定から議論に加わり、紙面構成やグラフィックに反映させている。

 

例えば2017年の別刷り特集では、「未来」をテーマに1面と最終面をラッピング紙面のように広げて読めるデザインにした。見開き2ページの紙面の中央には羅針盤のイラストを置き、震災時に小学生だった若者たちの写真を配して未来の広がりを表現した。

 

東日本大震災のグラフィック報道を振り返ると、3つのフェーズがあったように思う。最初のフェーズは、2011年3月11日の発災直後から夏ごろまで。情報が入り乱れるなか、市町村ごとの被害を地図に落とし込み、被害の全体像が分かるグラフィックを毎日更新した。福島第一原発についても読者の助けとなるよう、会見や資料を頼りに建屋や原子炉内部のイメージ図を描いた。

 

次のフェーズは震災半年後から。震災直後のデータの解析が始まり、「あの時、何が起きていたのか」が徐々に明らかになってきた。巨大な津波はどのように発生し、なぜ内陸部まで押し寄せたのか。原発はどのような経過で危機的な状況に陥ったのか。写真では伝えられないメカニズムを視覚的に示そうと、部を挙げて取り組んだ。

 

■デザイナー自ら原発取材

 

震災から3年となる2014年以降は「被災地の今を伝える」第3のフェーズにある。2016年3月には、原発や汚染水の現状を、デザイナー自ら現地を取材して大型グラフィックに仕上げた。貯水タンクで埋まる原発の全景写真や廃炉作業のタイムラインで臨場感と時間軸を表し、現地で感じた「現在進行中のいま」が伝わるよう工夫した。

 

昨春の別刷りは、見開きのほぼ全面を使って柔らかいタッチで東北のイラストマップを描き、復興事業で出来た商業施設や震災遺構、景勝地の写真などを散りばめた。

 

災害や復興イメージとはかけ離れたグラフィックにした理由は2つある。ひとつは、震災から7年経た東北のさまざまな側面を見せるため。もう一つは、全国の読者に「被災地は特別な場所ではない」と伝えるためだ。復興状況を図解するのではなく、「自分の目で確かめてみませんか」と被災地へいざなうよう、あえて観光ガイドのように仕立てた。

 

震災から8年。世間の関心は薄れ、記憶の風化はさらに進んできている。だが、廃炉作業が完了するのは計画でも2040~50年代であり、原発周辺には帰還困難区域が広がっている。震災報道は否応なく何十年も続くことになる。

 

今後、震災当時を知らない世代が増えるに従い、文字だけで伝えるのは難しくなるだろう。その時に求められるのが視覚に訴える報道だ。これまでの図解に加えて、3Dや動画、データビジュアライゼーションなど伝える手段は進化している。風化に抗うには何をどう表現すべきか。震災報道におけるデザイン部の役割はますます大きくなっていく。

ページのTOPへ