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視覚で伝える3.11:写真 「被災者視点」で表現模索(産経新聞社 芹沢伸生)2019年3月

東日本大震災から間もなく8年。誰も経験がない広範囲で大規模な災害を長期にわたりどう伝えればいいのか、写真記者の模索は続いている。見慣れた写真ばかりでは注目してもらえず、絵柄の工夫は欠かせない。しかし、大切なのは表現方法よりも、取り上げる事象やニュースの切り口。その視点が被災者や復興に携わる人の思いと、かけ離れてはいけない。取材者には斬新な写真と同時に、被災地の声に耳を傾けることが求められた。

 

写真報道局が継続的に追っている主なものに、被災者の暮らしや子どもの成長▽復興事業で変わる風景▽東京電力福島第一原発事故に関連する被災者や現地の今―などがある。写真記者は可能な限り被災地に足を運び、取材対象と交流を続けている。レンタカーを1000キロ以上運転する出張も珍しくない。

 

震災報道や情報が減る中、地道な取材は重要度を増している。総支局の協力も大きいが、培った人脈も財産だ。その中で聞けた進学や就職、事業の再開など、細かな話をフォロー。同時に景観の定点撮影も各地で行っている。震災担当の大西史朗デスク(45)は「企画のテーマは写真記者が集めた情報を持ち寄り全局員で考える」と話す。近年はドローンも活用している。

 

■”総力戦”で「メッセージ企画」

 

写真企画のひとつに「被災地からのメッセージ」がある。発生直後、宮城県南三陸町で避難所の体育館を取材した植村光貴記者(56)は、テレビ中継のリポーターの後ろでメモを掲げる被災者が多いことに気づいた。通信手段を失った人たちは離れ離れの家族や知人に、自分の無事を知らせようと必死だった。植村記者はメッセージを持つ人を次々と撮影、震災から10日目の3月20日付朝刊で「避難所の思い届け」との見出しでグラフを組んだ。「食料をください」「皆、元気です」などの言葉が並び、反響は大きかった。これ以降、写真記者が総力取材。紙面とウェブで1年余り連載、その後も断続的に掲載した。発生から3年で取材した人は1000人を超えた。

 

メッセージ企画は今も続いている。過去に取材した人を訪ね「近況」や「夢」などを書いてもらい、節目の紙面で当時の写真とともに紹介。時間の流れや、さまざまな思いが同時に伝わる企画になっている。ただ、避難所で出会った人の再訪は自宅が分からず困難を極める。子どもは進学などで故郷を離れたケースが少なくない。

 

また、昨年3月、震災7年のグラフは「色」をテーマにした。担当は宮崎瑞穂記者(28)。「復興の色」と題した、赤紅色の照明で踊るフラガール、白銅色の防潮堤などの5枚組み。黄金色の海をバックに走る大船渡線BRT(バス高速輸送システム)の写真が印象的だった。BRTは不通の鉄道に代わる地元住民の足。宮崎記者は「震災直後は灰色に思えた被災地の7年後を、色で表現しようと考えた」と言い「グラフ取材で4回、現場に通った」と振り返る。

 

この企画は2018年の東京写真記者協会賞に選ばれた。「報じる視点」も他社から評価されたと解釈している。今後も被災地とのつながりを最優先し、読者の心に届くニュース写真を発信し続けたい。

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