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事故から7年 見通せない廃炉(企画委員・朝日新聞社 上田俊英)2018年2月

東京電力福島第一原発の事故から7年。日本記者クラブの福島第一原発取材団は4回目となる今回、原発構内のほか、大量の除染廃棄物を30年間貯蔵する「中間貯蔵施設」などを総勢38人で訪ね、復興の現状を見た。

 

「廃炉に向けた準備をしていた7年だった」と、東電廃炉カンパニーの大山勝義リスクコミュニケーターは言った。原発構内を回ると、地表は一面、モルタルで覆われていた。地中からの放射線を遮蔽し、敷地の95%で一般作業服での作業が可能になった。

 

しかし、その先は見通せない。

 

林立する汚染水貯蔵タンクは現在、約850基。すでに約85万トンの汚染水がたまっていた。原子炉建屋への地下水の流入は依然、止められず、汚染水は増え続けている。流入を止めないと、廃炉作業に入れない。

 

肝心の廃炉も「定義」が、むしろあいまいになってきている。経済産業省と東電がつくる廃炉の「ロードマップ」では、当初あった施設の解体計画が、いまは消えている。

 

「どこまでするのか。地元や国民と協議していきたい」と、大山さんは話した。廃炉とは溶融燃料を取り出すことか、更地にすることか――。いずれにせよ、道のりは果てしなく長い。

 

大熊町と双葉町にまたがる「中間貯蔵施設」では、除染廃棄物の搬入が少しずつ進んでいた。総面積は約16平方㌔。その8割を占める民有地のうち、ようやく63%を取得した。

 

環境省福島環境再生本部の小沢晴司本部長は「地権者にとって土地を提供するのは、先祖からの歴史を打ち切るということ」。取得交渉はそれだけに難航した。福島県内から出る除染廃棄物は、推計で最大2200万立方㍍。昨年末時点の搬入量はまだ、その2%にも満たない。

 

今回、一番驚いたのはJR富岡駅前の変貌ぶりだ。津波で大破した駅舎は建て替えられ、駅前商店街は、ほぼ跡形もない。整備された駅前に立つ「富岡ホテル」に1泊した。

 

社長の渡辺吏さん(58)は商店街で食料品店を営んでいた。ホテル開業は「復興のためですか」と尋ねると、「自分たちの将来のことを考えた」と答えた。それこそが、復興への道だろう。

 

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