ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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投げつけられた不信感(時事通信社 軽部謙介)2015年6月

沖縄本島中部の米軍嘉手納飛行場。一昔前、この基地のフェンスに接して「サンパウロ広場」とか「安保の見える丘」などと呼ばれるエリアがあった。

 

滑走路が見通せる人気スポットだったが、今その役割は県道を挟んで建てられた「道の駅かでな」が担っている。

 

12日、取材団はここで昼食。屋上展望台に上ると、眼前に広大な基地が現れる。FA-18ホーネットと思われるジェット戦闘機の編隊が猛烈な爆音を残して夏空に吸い込まれていった。

 

この日の午前中は、米軍普天間飛行場の移転先となっている辺野古の地元、名護市の稲嶺進市長と会見。著名な軍事評論家から「基地問題で飯を食っているんだろう」と罵倒されたという話を披露しながら、「無視されている」「話を聞こうともしない」と本土への不信感を投げつけた。このまま埋め立て工事が強行されれば「県内の他の米軍基地でも運営に支障を来すことになる」とも。

 

午後からは沖縄防衛局で井上一徳局長に会う。前日、辺野古の洋上で日本記者クラブの船団をビデオ撮影していたことに対して、記者団から「不快だった。正当な理由があるのか」との質問も出た。対する答えは「仮にトラブルがあったときの事実関係確認のため」。日本記者クラブとのトラブルとはどんな事態が想定されていたのだろうか。

 

その後、普天間基地を抱える宜野湾市役所を訪ねた。佐喜真淳市長は「日米安保は大切だが、その大切さを国民に等しく考えてもらいたいし、議論していただきたい」。

 

一日の締めくくりは、基地がよく見える同市役所の屋上。フェンスのすぐ隣に民家が軒を連ねる。赤瓦や花ブロックが、西に傾く強烈な日差しに照らされていた。

 

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