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芸術家・岡本太郎さん/ 安易な「感動」に苦言(関口 雅弘)2019年3月

 岡本太郎さん(1911~96年)の造形作品「太陽の鐘」が昨年、群馬県前橋市に設置された。

 作品を背に結婚式の記念撮影が行われたり、除夜の鐘として市民が鳴らしてみたり、人に寄り添う「心優しい芸術」として活躍しているのだが、生前の岡本さんはそれと対極の、こわもてのイメージだった。メディアが伝える人間像は虚々実々としても、少なくとも筆者がお会いした時は説教され、ただうなずいていた記憶がある。

 

■「他人の勝敗で騒ぐな」

 

 40年近く前のこと、大学で学生新聞を作っていて、インタビューを申し込んで東京・青山のアトリエを訪ねた。岡本さんが大学の付属高校で学ばれたことを縁に、取材の趣旨としては、いたって凡庸な「若者へのメッセージ」を伺いに行ったのだった。

 当時の岡本さんは「芸術は爆発だ」のCMが人気を呼び、テレビのバラエティー番組にも出演されていた。お笑いキャラのような扱いに飽き飽きしていると思い、インタビューでは骨太の芸術論を吹っかけてみようかと、慌ててそれらしい本を読んでいった気がする。

 でも青二才の、付け焼き刃の芸術論なんて出る幕がない。岡本さんに「君はスポーツが好きか」と聞かれた。「見るのが好きか、やるのが好きか」と問われ、「プロ野球はよく見ます」と答えたら、それからずっと説教をいただいた。およそこんな趣旨のお話だった。

 〈スポーツはやるものだ。自分で何もせず、他人の勝った負けたで騒ぐのはむなしい。そんな弱い人間にはなるな。自分の存在を懸けて何かをしなさい。新聞やテレビはスポーツですぐ感動、感激とか言うが、感動とはもっと魂の底から揺さぶられることだ。たまたま勝った国の人が喜び、負けた国の人が悲しんで、プラスマイナスゼロではないか。幸せも不幸せもない〉

 今にして思えば、岡本さんに対し〈そうは言っても、例えばスポーツ報道をささやかな楽しみにしているお年寄りがいたとして、誰も否定できません。弱くたって、それも人間でしょう。難しい芸術よりも勝ち負けが心に響くという事実は、パンと見世物の時代から変わりません〉などと、異論を挟む余地はあったかもしれない。

 

■「自らすることに」誇りを

 

 ただ岡本さんは、そうした言説は百も承知の上で、信念の一端を語ったのだと理解している。1954年の著作『今日の芸術』に「芸術は万人によって、鑑賞されるばかりでなく、創られなければならない/うまく描く必要なんかみじんもありません。かまわないから、どんどん下手に描きなさい」とある。下手くそでも、のろまでも、自らすることに人間の誇りのようなものを見いだし、エールを送ろうとしていたのだろう。

 大学を卒業して郷里の新聞社に勤めた。運動部の記者だった頃は、説教のことなど忘れて「感動」「感激」を書きなぐっていた。「太陽の鐘」を見て、ふと「勝ち負けに興じる意味」を後輩に問うたことがあるが、何やら煙たがられ、話の意図が伝わった自信はない。

 東京五輪が刻々と近づく。筆者を含め世の関心がすべて日本の勝敗に注がれていく。だが同時に、勝利至上主義や、あるいは国際卓球連盟がかつて疑問を呈した国歌、国旗の使用について考えることがあってもいい。岡本さんのこわもては、強じんな優しさで人間そのものの躍動を訴えている。

(せきぐち・まさひろ 上毛新聞社取締役)

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