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元参院議員・國弘正雄さん 同時通訳の神様から護憲戦士に(山田 惠資)2018年8月

 今から40年前にさかのぼる。毎週月曜の午後、上智大外国語学部英語学科が開講していた「政治経済英語」は毎回定員100人程度の教室が満員になった。講師は國弘正雄氏だった。

 

 当時、既に「同時通訳の神様」、そして異文化コミュニケーション研究の草分けとして知られ、日本テレビのニュースキャスターでもあった。その知名度の高さゆえであろう。教室には東京外大や早稲田大など他校からの「盗聴生」も数多く交じっていた。

 

 日本で生まれ育ち、高校まで海外生活の経験はない。にもかかわらず、豊富な語彙と多彩な表現力を駆使して英語のネイティブが舌を巻くほど高いレベルのスピーチ力を身に着け、同時通訳者として一線で活躍する―その秘伝を直接授かろうと、教室内は熱気に溢れていた。そんな学生たちを前に國弘氏はこんな言葉をよく口にしていた。「僕は、帰国子女の英語は全然怖くないね」

 

 ■音読による英語学習法を提唱

 

 國弘氏が英語の勉強を始めたのは中学1年生の時だ。英語教師の指導に従って、英語の教科書を500回以上繰り返し音読した。國弘氏が英語学習方法として終生提唱し続けた「只管朗読」はこの体験がルーツだ。

 

 中学時代に父の転勤で移り住んだ神戸で終戦を迎え、駐留していた米英豪各国の兵士に手当たり次第に、英語で話しかけたという。これが「切れば血が出る生の英語」との出会いとなった。

 

 1955年にハワイ大学を卒業。後に日本生産性本部の駐在員としてワシントンに滞在し、通訳の訓練を受けた。

 

 同時通訳者としては、69年のアポロ11号月面着陸のテレビ中継で、宇宙船とヒューストン宇宙センターの交信模様を伝えるNHKのテレビ中継を担当した。

 

 実はこのアポロ11号の通訳では、裏話があった。

 

 「聞こえるのはガーガーという雑音だけ。宇宙飛行士の言葉はほとんど聞こえなかったが、空想しながら〝通訳〟した。すると全然違う文脈だった。NHKからはひどく怒られたよ」

 

 一方、政界との関係も深かった。とりわけ元首相の三木武夫氏との厚い親交があった。1974年発足の三木政権時代は外交参与としてブレーンを務めた。75年8月に三木氏が訪米した際、フォード大統領との公式の首脳会談後、予定外の首脳会談が突然行われたことがあった。その時、不在だった外務官僚に代わって通訳をしたのは國弘氏だった。 

 

 のちに國弘氏がこう振り返っていたのを思い出す。「これが外交のダイナミズムなんだとつくづく感じたね」

 

 三木氏のほか、宇都宮徳馬氏や鯨岡兵輔氏ら自民党ハト派人脈とも交流する一方で、社会党の土井たか子氏とは「護憲運動」の同志だった。89年参院選では当時党委員長だった土井氏に誘われて比例代表で出馬し、当選。国会議員として、自身のエネルギーを護憲運動に大きく傾注していった。

 

 晩年は日本全体の「右傾化」をこんな表現で憂いていた國弘氏。「私のスタンスは変わっていない。世の中が右に動くから、私は左だと思われるようになった」。特に安倍政権には厳しかった。亡くなって間もなく丸4年。あの世でも日本の現状をさぞ嘆いておられることだろう。

 

(やまだ・けいすけ 時事通信社解説委員長)

 

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