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回良玉・中国元副首相 柔和で大人、回族出身で大出世(遠山 仁)2018年7月

 今年は日中平和友好条約の締結から40年になる。1972年の国交回復、78年の条約締結を経て、80年代に入ると日中両国の自治体間で友好提携が活発化した。

 

 高知県が安徽省と友好関係を結んだのは94年秋。高知市と同省の蕪湖市の友好提携をきっかけに関係が深まり、当時の橋本大二郎知事に同行して省都・合肥での調印式を取材した。

 

 1年半後、安徽省から代表団が来高した。団長は回良玉省長。吉林省出身の51歳で、前年2月から省長に就いていた。珍しい回族の省トップでもある。

 

 回族はイスラム教を信じる少数民族の一つ。中国語を話し、容貌も漢族と変わらないが、イスラム教徒であり、独自の習俗を持つことから少数民族に認定されている。中国史に関心のある人なら、「回回」「回民」という呼び名を覚えていよう。

 

 訪日時に単独会見

 

 行事の予定は詰まっていたが、「ダメ元」でインタビューを申し込むとオーケーが出た。同行していた知人の省政府秘書長が「地元の新聞だから」と後押ししてくれたのかもしれない。

 

 インタビューは宿泊先のホテルで半時間ほど。記事を読み返してみても、高知の印象や今後の交流への期待など一般的な事柄しか聞いていない。多少の心得があったとはいえ、通訳なしでやりとりができた程度の内容ではある。

 

 いまも印象に残っているのは当たりの柔らかさだ。中国共産党安徽省委員会の副書記でもあったから、一応身構えてはいた。しかし、嫌な顔ひとつすることなく、質問に丁寧に答えてくれた。かっぷくもよく、中国人が好む「大人」の要素が備わっていたように思う。

 

 その後も来高した訪問団の取材などはしていたが、回さんに関しては98年に党安徽省委書記、99年に党江蘇省委書記と順調に経歴を重ねていることを把握していた程度だった。

 

 そのニュースに驚かされたのは2002年11月。共産党の第16回大会で胡錦濤新指導部が発足したが、政治局員に回さんの名前があったからだ。トップの政治局常務委員9人に次ぐ15人の1人に名を連ねたとあっては、びっくりするほかない。

 

 回族出身の回さんの起用は、胡指導部が前年の米中枢同時テロを受けて、少数民族対策を重視した表れだろう。引退した政治局常務委員の李嵐清副首相の後押しがあったともいわれる。

 

 回さんは翌春の全国人民代表大会で副首相に就任し、農業のほか、災害・防災対策などを担当。地震や洪水、鳥インフルエンザなどの際、中国メディアに登場していたのを思い出す。

 

 党政治局員を2期10年務めて12年11月に退任し、翌春には副首相も退いた。引退後は執筆活動もしていたようで、15年に散文集を出している。中国作家協会のウェブ上に掲載された書評を見ると、著者の障害者や障害福祉関係者への思いに感動したとある。

 

 話半分だとしても、初対面のときの印象から大きくずれてはいない。一党独裁の中国は決して好きではないが、愛すべき人々は大勢いる。

 

(とおやま・ひとし 高知新聞社常任論説顧問)

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