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第13回(ドイツ・イスラエル)戦後和解(2015年7月) の記事一覧に戻る

イスラエル:歴史、宗教、そして和解(共同団長:杉田 弘毅)2015年7月

ユダヤ教の白い帽子を頭に乗せ「嘆きの壁」を見上げると、歴史が覆いかぶさってくる感覚だ。ここにソロモン王が第1神殿を造ったのは3千年前。すぐ近くにあるイエスの「悲しみの道」をたどれば、磔の十字架ならぬリュックを背負っただけというのに汗だらけ。足元で起きた血塗られた数千年の歴史の出来事が次々頭に浮かび、血のめぐりも速くなる。

 

この濃密な過去と対面して暮らすイスラエルの人々は、百年程度の歴史克服に苦闘する日本の取材団をどう迎えたのだろうか。印象的な言葉がいくつもあった。

 

モシェ・ツィマーマン・ヘブライ大学教授はドイツ・イスラエルと東アジアの歴史和解の相違について、「精神と伝統が違う」と語った。「ユダヤ・キリスト教の伝統をわれわれは持つ」

 

「悔悟、謝罪、許し」の枠組みがユダヤ・キリスト教にあるが、アジアではないということか。「アジアには橋をかける共通の言葉がない」とも教授は答えた。自分は宗教色が薄いと言う教授だが、和解に果たした宗教の役割を十分意識していた。

 

思い出したのが、イスラエルとの和解に成功した西ドイツの初代首相コンラート・アデナウアーだ。第2次大戦直後にこんなことを言った。

 

「世界には2つの大きな陣営しか存在しない。キリスト教的=西洋的陣営とアジア陣営だ」。アデナウアーが言うアジア陣営とはソ連、無神論者、そして個人の自由を服従させる体制のことだ。

 

自由の観念も体制と個人の関係も西洋では宗教が意味を持ち、アジアとは異なる。それが歴史和解の行方も左右する。教授の話を聞きながら、自らの想像力の欠如にうろたえた。

 

民族絶滅を目標にユダヤ人600万人が殺された。ホロコーストのすさまじさと東アジアの戦争を同列に語ることを誰もが否定した。

 

だが、ヒントは多い。強制収容所から生還したユダヤ教指導者イスラエル・ラウ師は「忘れも許しもしない。現実に対応しただけだ」。イスラエルの建国にドイツの支援は必要だったから和解を受け入れた。ドイツとイスラエルには「過去の克服」という共通の国益があった。

 

教育者は「トラウマは克服できると教えるのが教育」と言った。ホロコーストは両民族のトラウマそのものだ。それを克服したことを学べば、子どもたちに訪れる個人的なトラウマを克服する力になるのだろう。

 

取材団は死海にも足を延ばした。塩が濃くよく浮かんだ。対岸に見えるヨルダンの山々から砲弾が飛んでくることも、もはやない。だが、ガザ地区との戦いの方は、ある外交官は「時間の問題」と言った。こちらの方の和解は見通せない。ここでは宗教は役割を果たせないのか。血で歴史がまた上書きされていくのか。

 

(すぎた・ひろき 企画委員・共同通信編集委員室長)

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