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脚本家・市川森一さん 故郷・諫早での思い出(才木 邦夫)2018年2月

 直接、お会いできたのは、実は数えるほどしかない。しかし、ちょっとした話の端々に、好奇心の塊みたいな人だなと、今も鮮明に覚えている。そしてやさしい笑顔が一番似合う人だった。

 市川森一さんは長崎県諫早市出身。市川さんの数多いテレビドラマの中に、故郷を舞台にした「親戚たち」(1985年、フジテレビ)がある。この時の主演が役所広司さんで、役所さんも出身は同市だが、これが同じどころではなかった。

 2005年3月、お二人の故郷、諫早市が近隣5町と合併し、新しいスタートを切る門出を祝って、弊社で市川さんと役所さんのトークショーを諫早で開いたことがある。テーマは「親戚たちのまち~ふるさと諫早を語る」。会場は1000人以上の超満員となった。

 このなかで、市川さんはこう言った。「役所さんの家から一つ道を隔てた町で生まれ育った。役所さんは5人兄弟で兄さんは同級生。小学生のころ、よく遊びに行った」関係だそうだ。お二人が同じ出身なのは周知の事実としても、これほど近い関係とは聴衆も驚かされた。

 また市川さんは脚本家になったきっかけを問われ、「家の前が映画館だったので、よく映画を見ていた。だからいつも空想ばかりしている妙な少年だった。それがこの世界に入ったきっかけになったのでは」と続けた。幻想的な作風といわれる市川さんの原点を垣間見た思いだった。 

 ドラマ「親戚たち」では、市川さんが通った学園の教室をはじめ、主人公などが夜な夜な繰り出したスナックや街並みが頻繁に登場する。中心街を静かに流れる諫早川沿いにはドラマのモデルとなったスナックがある。

 私は市川さんの知人の実業家からよく誘われ、スナックに行く機会があった。そこでママさんから撮影風景などを丁寧に教えてもらい、狭い店内でどんな風に撮影したのか、想像したものだ。

 トークショーの会場に行くタクシーには10分も乗っていたのだろうか。しかしその間、市川さんは最近の出来事や話題、問題になっていることなど、後部座席からまさに速射砲で質問してくる。いくつかは想定していたものの、最後はネタもつき、もぞもぞ。アテンドとして、冷や汗をかく、長い口頭試問であった。

 そんな市川さんが2011年12月10日に急逝して7年になるが、後進を育てたいとの思いでまいた種は小さくはない。

 学んだ学園では「夢学」を講じ、映像芸術論を論じた。名前を冠したシナリオルームがある市立図書館では名誉館長を務め、シナリオ講座を開設し中央で活躍する新進の脚本家を招請。亡くなった翌年には、市川さんを慕う関係者が一般財団法人「市川森一脚本賞財団」(福地茂雄理事長)を設立。市川さんの夢が生きている。

 そして今年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録される見込みである。構成資産の一つに島原の乱の舞台となった原城跡がある。市川さんには、新しい視点でとらえ直した「蝶々さん」(06年、後年講談社刊)に次いで、この島原の乱をテーマにした、「幻日」(10年、同)という連載小説を弊紙に書いていただいた縁もある。  

 今年、30数年ぶりに「親戚たち」が映画化されるという。世界遺産とともに謹んでご報告したい。 

 

(さいき・くにお 長崎新聞社代表取締役社長)

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