ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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的が外れてはいないかな(斎藤 史郎)2018年1月

 とてつもない勢いでデジタル革命が進んでいる。

 電車に乗れば10人中、7、8人はスマホに夢中だ。若者はLINEを使った友達とのおしゃべりや情報交換に忙しい。ゲームも楽しめれば音楽も聴ける。レストランの予約もできれば店への地図もたちどころに見つかる。

 スマホはカメラにもなればテレビ電話にもなる。書斎で調べ物をするのに百科事典の代わりに、端末に向かって単語を発すれば情報を引き出せる。生活品もネットで注文すれば一両日中には手に入る。パソコンを使えば在宅勤務や遠隔医療も可能となる。全てのモノがインターネットでつながるIOTの広がりで、企業経営の姿も変わってきた。人工知能の時代も到来しつつある。

 

価格ゼロ経済の出現

 

 コンピューター、インターネットを軸としたデジタル革命である。全ての情報を0と1に記号化し瞬時に処理して圧縮・蓄積・分析・伝達が可能となる世界である。しかも何度使っても劣化しない。再生産コストが限りなくゼロに近づく。サービスはどれも安く、ただ同然のケースも珍しくない。消費者が喜ぶべき快適な価格ゼロ経済の出現とも言える。

 ところが、この変化に国内総生産(GDP)統計が追いつけなくなっている。名目GDPに計算されるのは有料取引のみである。無料取引は原則、名目GDPには響かない。減ることすらある。音楽や映画がネット経由で配信されたら、消費者が払っていた映画代やCD代はGDP統計からは消える。設備を共用するシェアエコノミーで消費者は便利になってもGDPには反映されにくい。

 物価統計にも疑念が生まれている。物価統計とは同じ商品の値段がどう動くかを示す統計である。全く新しい商品なら、定着するまでは統計の対象にもならない。商品サイクルが短くなればなるほど捉えるのは難しくなる。

 既存商品でも機能が向上していたら実質的に安くなったとみなす。だが、これほど急激な技術進歩の下ではどの程度安くするのが妥当か。確かなモノサシがなく、統計担当当局は悪戦苦闘する。それでも差し引き方が不十分という声がある。「真の消費者物価はさらに低い」という説である。目に見えぬ物価下落とも言える。

 米国の経済諮問委員会(CEA)元委員長のマーティン・フェルドシュタイン氏も米国の物価統計について品質調整が過小で物価は高めに現れていると分析する。「そのために実質GDPは過小推計されている。先進国共通の問題だろう」と語る。わが国の代表的な経済統計研究者の一人、渡辺努東大教授もGDPでは人々の効用・満足度が測りきれなくなっているとみる。実際のGDPの数字より人々は、実は豊かという説である。価格と効用の断絶、GDPと効用の断絶。国際機関や国際的な統計学会でも騒ぎ始めた。

 そうと知ってか知らずか、政府・日銀は消費者物価上昇率2%や名目GDP600兆円の達成に必死である。労働力不足を背景に消費者物価もさすがに少しずつ上昇するだろうが、どんな中身の2%か、どんな中身の600兆円か。そもそも何のための目標達成か。デジタル革命のもと、アベノミクスや異次元緩和が想定していた的が、いつの間にかズレているということはないだろうか。

 

頭痛いトランプ哲学

 

 的外れのもう一つの代表例は、トランプ米大統領の貿易政策だろう。大統領は来日時にも対日赤字の是正を求めた。直感で動くトランプ氏は「輸出は富の源泉、貿易収支(経常収支)の黒字が何より大切」と、信じて疑わない。しかも2国間の均衡にこだわる。

 どこの国の経済にも得意、不得意はある。2国間の均衡にこだわれば、あちこちで欲しくもない商品を買うか、得意商品の輸出をわざわざ止めることになる。

 例えば、日本と産油国・ブルネイとの不均衡は著しい。日本のブルネイからの輸入額は輸出額の20倍、つまり日本の大幅赤字である。これを均衡させようとすれば、日本が原油輸入を今の20分の1にするか、ブルネイが欲しくもない商品を日本から大量に輸入するしかない。ブルネイにも日本にも不幸なことである。

 資源配分がゆがみ世界貿易が縮小均衡に陥る道である。30年前の日米貿易摩擦の悪夢がよみがえる。幸い日本政府の対応が今のところ冷静なのが救いだが、なお予断を許さない。

 それでは、多国間で考えた場合はどうか。本当に貿易赤字が悪く、黒字が好ましいのだろうか。

 確かに貿易赤字になればお金が不足するとも言える。だが、人々にとり大切なのは経済成長を安定的に続けられるかどうかである。資金不足は海外からの資本調達で乗り切ればよい、というのが冷静な経済理論の教えるところである。

 19世紀の米国は長い間、経常赤字だった。カナダはここ1世紀余り赤字基調で、オーストラリアは40年も黒字を記録していない。だがどこも経済は発展し続けた。海外からきちんと資本調達ができたからだ。問われたのは国家の信認・発展力である。「悪い赤字」もあれば「良い赤字」もある。

 もっとも、トランプ氏のこの的外れを正すのはそう簡単ではない。ナショナリズムと隣り合わせの重商主義政策であり根は深い。「黒字が何よりも大切と、実は多くの日本の政治家や経営者も信じている」と、ある政府関係者はため息をつく。

 

長寿を生かす

 

 的外れかどうか、論争の余地のあるもう一つのテーマは人口高齢化問題である。多くの人は人口減少や高齢化は日本の将来を危うくすると考えている。

 だがこうした見方は一面的と、異議を唱える向きがある。暮れにお会いした東京大学元総長の小宮山宏氏もそうだった。「高齢化とは長生きすることです。文明発祥以来、人類が求めてきたことで、高齢化の否定は文明の否定と同じことです」と歯切れが良い。

 日本人の平均寿命の歴史を調べてみると、縄文時代で15歳前後、江戸時代で30歳代というのが多数説のようだ。短命だったのは衛生環境が悪く、赤ちゃんがすぐに死んでしまい、病死もはるかに多かったからである。男女とも平均寿命が50歳を超えたのは終戦後である。その後、医療の進歩を背景に寿命は年々伸び続け、90年代には世界トップクラスの長寿国になった。喜ぶべき快挙とも言える。

 肉体年齢の若返りも著しい。健康寿命も大幅に伸びている。これまで15歳から65歳未満を「生産年齢」、65歳以上を「高齢者」と呼んできたが実態とズレが生じている。日本老年医学会や老年学会は高齢者の定義を75歳以上にしたらどうか、と言い始めた。

 確かに、めでたい長寿化を生かさない手はない。女性活躍とともに高齢者の労働参加や社会参加、それを前提にした社会保障制度改革。検討の余地は大いにありそうだ。

 人間は当面の課題解決にまい進すると本来の目標や意味を忘れてしまうことがある。ブログやツイッターの隆盛で、人々は自分の都合の良い事実しか信じない時代になってきた。多面的にモノを観るのはやはり難しい。ジャーナリズムが忘れてはならない点だろう。

 

さいとう・しろう

1948年生まれ 72年慶應義塾大学卒 日本経済新聞社入社 東京本社経済部長 編集局長 専務取締役などを経て 2015年から日本経済研究センター会長 17年6月退任 同参与に 2009年から11年まで日本記者クラブ理事長 『異説・日本経済』などを監修 最近の編著書に『逆説の日本経済論』

美術団体二元会委員・日本美術家連盟会員として絵画制作活動も

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