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「日中国交回復は裏安保」  角栄さんの肉声の意味と真意 (小田 敏三)2017年10月

「印象に残る世界の指導者は?」

 

私の質問に田中角栄元首相、角さんは間髪入れず答えた。「周恩来だ」。「どんな点にですか?」とたたみかけると「官僚を束ねられる政治家だ」。

 

1983(昭和58)年9月。東京・目白の田中角栄邸応接間。いつものように午前11時45分、早朝からの陳情時間が終わった。私も帰り支度をしていたとき、偶然に最後の客を玄関先に送りに出てきた角さんから声が掛かった。「飯食っていけ。店屋物(出前)でいいか。チャーハンがいいな」。思いもよらぬ誘い。それから1時間、幸運な2人きりの昼食となった。だが角さんにとっては、1カ月後に5億円受託収賄罪に問われたロッキード事件の一審判決が迫る、緊迫した時だった。

 

食事を取りながら、問わず語りに角さんが口を開いた。

 

「日中の国交回復は裏安保なんだ。新聞記者はそんなことも勉強していない」

 

34歳の私は9年目の駆け出し記者。角さんは65歳で政界の闇将軍。勉強不足の駆け出し記者相手に怒るでもない、むしろ金権批判ばかりの日々にやりきれない思いがにじんでいるようだった。

 

「日米安保によって日本は、国防を米国に任せ、自分たちは経済繁栄を享受できた。これからは分からん。米ソ関係が悪いと日本に軍備の強化を要求してくる。米国とソ連(ソビエト社会主義共和国連邦。1991年12月崩壊)、日本とソ連の間にいる中国の数億の民が壁となれば、日本は経済繁栄を続けられる」

 

「日中は裏安保」。角さんの肉声の意味と真意を確かめるべく私は、池田勇人元首相(故人)の秘書官だった伊藤昌哉(故人)さんの元に走った。日中国交回復交渉の際、田中首相に同行した外相が大平正芳(元首相・故人)さんであり、大平さんの師は池田元首相である。

 

伊藤さんは聞くなり「本当に角さんがそう言ったのか」。信じられないとばかりに何度も念を押された。「一字一句本当です」と言うと、感慨深そうに語り始めた。

 

「池田が大平にずっと言い続けていた話だよ。日本が敗戦から立ち直り、経済繁栄を成し遂げたら、いずれ米国から軍備の増強を迫られる。その前に中国との国交正常化が大事だ、とな」

 

何度も何度もうなずきながら伊藤さん。「そうか。大平の知恵と田中の決断があってこそ、日中国交回復は成し遂げられたんだな」

 

角さんの「功」と「罪」が語られるとき、いつも思い出すエピソードのひとつだ。

 

「日中裏安保論」から1カ月後の10月12日、「懲役4年、追徴金5億円」の実刑判決が出された。私は言い渡しの瞬間を間近で見た。こめかみがピクリと動き、ギュッと握りしめた拳がみるみる赤みを増す。被告席に戻る際、記者席に向けた鋭い眼光は怒気を含んでいた。

 

1984(昭和59)年6月、角さんは新潟日報の6時間インタビューに応じた。雑談になったときだ。

 

「いいか! 将来、事を成すには広大なる中間地帯をつくれ。本当の味方はせいぜい2人。地獄の釜は狭いんだ。敵は1人でも少なくしろ」

 

自らに言い聞かせるように、まくし立てていたのが印象的だった。

 

(おだ・としぞう 新潟日報社代表取締役社長)

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