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情報戦うら・おもて(パート6) サイバー介入、新たな段階に-米大統領選と“ロシア疑惑”(村上 吉男)2017年8月

米国にドナルド・トランプ政権が登場して早くも半年が過ぎた。当選の時点で70歳という米史上最長老で就任した大統領、公務経験は皆無、メディアとは敵対関係、記者会見よりもツイートで発言、多国間協定よりも二国間協定を好み、いきなり対外援助額を削減して米国防予算を増額……など過去に見ないタイプの大統領として就任以来、物議をかもしている。中でも注目されているのは、いわゆる「ロシア疑惑」だ。米側によると、ロシア政府は昨年の米大統領選挙でトランプ候補を勝たせる目的でサイバー介入した。そこで、トランプ陣営がそれに関与していたのかどうかが問われているのだ。「どんな形で関与していたのか」、さらに「関与を捜査していた米連邦捜査局 (FBI) 長官を解任したのは司法妨害である」などの理由で、特別検察官による本格的な調査が始まり、トランプ大統領の弾劾裁判に発展する可能性さえ取り沙汰されている。

 

◆◇外交官35人に退去命令-オバマ政権の執念、米情報網を駆使◆◇

 

それにしても、昨年末のホワイトハウスの発表は劇的だった。全世界が度肝を抜かれるほどの驚きだった。長丁場の大統領選挙が終わり、クリスマスも過ぎて2016年の暮れが押し迫った米東部時間の12月29日(日本時間の同30日)、ホワイトハウスは突然、米国内に駐在するロシアの外交官、実に35人もの多数に対し、家族と共に72時間以内に国外退去するよう命じたのである。氏名こそ公表されなかったが、これら35人のロシア外交官が米大統領選挙へのサイバー攻撃にかかわっていたからだとされた。

 

ホワイトハウス声明で当時のオバマ米大統領は、大統領選にサイバー攻撃を仕掛けてきたのはロシアの情報機関だと断定し、ロシア軍参謀本部情報局(GRU)とロシア政府保安局(FSB)を名指しで挙げ、GRUの幹部4人を在米資産凍結の制裁対象に指定した。その上で、ワシントンのロシア大使館およびサンフランシスコにあるロシア総領事館所属の35人については、「外交官の身分に合致しない行動をとった」、すなわち大統領選にサイバー介入した、として国外退去を命じたのである。さらに、ニューヨーク州とワシントン郊外のメリーランド州にあるロシア政府関連施設をスパイ活動の拠点だと断定。12月30日正午以降、ロシア政府関係者の立ち入りを禁止すると通告。オバマ大統領はこの声明で「今後もわれわれの選ぶ時間と場所で様々な行動をとる」と述べ、米国がサイバー攻撃の仕返しをする可能性をも示唆したのである。

 

ロシア側は、選挙への介入を否定し、ロシア外務省は威勢よく、「対抗措置をとる」と言明した。しかし、一夜明けた30日、プーチン・ロシア大統領は声明を発表し、「対抗措置をとる権利を留保する。米国のトランプ次期政権の政策のもとに、今後のロ米関係の修復について決める」と述べ、直ぐには対抗措置をとらない考えを表明した。これに対して、11月に当選したばかりのトランプ次期大統領は同日、ツイッターで「素晴らしい対応」「私はいつも、彼がとても賢いと知っていた」と、プーチン大統領を称賛した。その前夜、トランプ次期政権の国家安全保障担当に任命されていたフリン大統領補佐官は駐米ロシア大使と緊急電話連絡をとっていたのである。年明けにそれが浮上し、ロシア大使との電話について報告を受けていなかったトランプ政権の首脳陣は、そうでなくてもトランプ陣営とロシアとの接触が話題にされ始めていたことから、フリン補佐官を更迭せざるを得なかった。“ロシア大使との極秘電話で、トランプ政権が発足すれば事態を建設的な方向で納めるなどのサインが送られたため、プーチン大統領の反応があのような穏便な形となったのではないか--”。そんな疑いを招きかねないフリン補佐官の非公開電話が、トランプ政権の発足を前に、「ロシア疑惑」を深める原因ともなった。

 

ロシア政府の否定を、米側は折り込み済みだった。サイバー攻撃の犯人を特定することはきわめて困難だからだ。たとえば、サイバー攻撃で国際的に知られているような個人、ないしグループが面白半分で米大領領選にサイバー攻撃を仕掛けてきたことも考えられよう。あるいは、ウクライナがロシアに見せかけて米選挙に介入した場合、それがウクライナの仕業だと特定することは容易ではないだろう。だが、米オバマ政権には自信があった。サイバー攻撃犯を追跡するために、米国の連邦捜査局(FBI)、国家安全保障局(NSA)、中央情報局(CIA)、国防総省サイバー司令部(DOD CYBERCOM)などが数か月かけて、米国内だけでなく、ロシア国内の米情報網も総動員して徹底的に調べあげた。個人やグループの犯行にしては、処理する情報量が膨大に過ぎる。一方、どこか、不特定国家の仕業にしては、それによって得られる利益が明白には考えにくい。今回のサイバー攻撃は何か月にもわたって、決まってモスクワ時間の午前8時から午後8時の間に行われていたことも、ロシア政府の組織的な活動であったことを裏付けるものと米側に読まれていたようだ。

 

ロシア政府の介入を突き止めたオバマ大統領は、驚くべきことに、その年の9月に中国で行われた主要20か国・地域首脳会議(G-20 )の場でプーチン・ロシア大統領と会談した際に、米大統領選挙への介入を目的としたサイバー攻撃を即刻やめるように直接求めただけでなく、「やめなければ、深刻な結果を伴う」と、対抗措置をほのめかす警告までしていたのだ。

 

◆◇ハッカー“Cozy Bear” “Fancy Bear” ロシア二大情報機関が壮絶な攻撃◆◇

 

機密を理由に、具体的な説明を避ける米政府を横目に、米国内では民間のサイバー保全企業が競ってこの種のサイバー事件の実態を明かそうとする。今回の場合、クラウドストライクという企業が明かしたところによると、まずロシア政府保安局(FSB) のハッカーが米大統領選より一年も前の2015年6月ごろからワシントンにある米民主党全国委員会のサイトに入り込んで来たという。ニックネームをつけるのが好きなこの会社は、入り込んで来たこのハッカーを“かわいいクマちゃん(Cozy Bear) ”と名付けていた。そこへ2016年、選挙本番の年になって、今度はロシア軍参謀本部情報局(GRU)からとみられる新たなハッカー、愛称“おしゃれなクマちゃん(Fancy Bear)”も同じサイトに入ってきた。

 

“かわいいクマちゃん”の方は、米情報機関のあいだでは早くからよく知られていた。民主党の全国委員会に侵入してくる前には、米国の中央情報局(CIA) や連邦捜査局(FBI)などの情報機関 に入り込み、さらにホワイトハウスや国務省などのコンピューターネットワークにも頻繁に入り込んで来ることで知られていたからだ。このように、ある国がオープンにしているサイトをチェックすることは違反でもないし、それを阻止することもできない。米国防総省の各種サイトには毎日、中国が500万回も入ってきて、何か米軍事機構や戦略、政策などに微細な変化が起こっていないかチェックしているようだという。

 

一方、あとから米民主党全国委のサイトに侵入してきた“おしゃれなクマちゃん”の方は、ロシア軍参謀本部が操作していると米側は判断したようだ。期せずして、ロシアの政府と軍を代表する二大情報機関が米大統領選のヒラリー候補にサイバー攻撃を仕掛けてきたことになる。「ロシアの軍部と政府が、プーチン大統領に取り入ろうとして、米国を舞台に壮烈な内輪のサイバー戦を繰り広げる格好となったのではないか」。米側では、このような見方も行われていたようだ。

 

◆◇“獲物”ヒラリーを徹底的に狙う◆◇

 

ところで、ロシアのサイバー攻撃の狙いは米共和党のトランプ候補を勝たせることだったのだろうか。むしろ、民主党のヒラリー・クリントン夫人の当選を阻止することが主眼だったのではないか。結果的には同じことだが、プーチン・ロシア大統領としては、ヒラリー夫人に仕返しするために仕掛けたサイバー攻撃だったのではないか。米大統領選に先立つこと5年、2011年のロシア大統領選でプーチン氏が勝利した際、当時、米国務長官だったヒラリー氏は、外交慣習の祝電を送るどころか、「不正だらけの選挙だった」と公言してはばからなかったことは広く知られている。それに対してプーチン大統領は、「米国はロシアの選挙に介入し、米国務省やその長官がプーチン政権に対する反対デモを奨励し、支援している」と激しく非難していた。加えて、プーチン政権としては、ヒラリー夫人とトランプ候補を比べた場合、ヒラリー候補の方がはるかに対ロ強硬政策をとるだろうと懸念していた。

 

こうして、ロシアのサイバー攻撃隊はヒラリー夫人の所属する米民主党の全国委員会(DNC)のメイン・コンピューターに侵入し、そこで作成されたり、そこを通過したりするあらゆるメールや文書がロシア側に筒抜けになる状態にしたのである。そしてロシア側にとって予想外だったのは、ヒラリー候補が米国務長官だった4年間、自分自身の専用サーバーを設置し、私用だけでなく、公用にもヒラリー・サーバーを使用していたことが、ロシア側のサイバー攻撃の“獲物”として取り込めたことだった。この攻撃で、民主党の選挙対策本部長、ジョン・ポデスタ氏の個人メール・アカウントもロシア側にハッキングされてしまい、民主党陣営はロシアのプーチン政権によって徹底的なメールの暴露攻勢にさらされる結果となった。

 

 いずれにしても、ロシア最強の二大サイバー攻撃組織がヒラリー・クリントン候補の民主党全国委のコンピューター、ヒラリー候補の私有サーバー、選対本部長のパソコンに入り込んだのだから、たまらない。出るわ、出るわ、次から次へと、ヒラリー候補のすべての私的・公的メールはもとより、日程表や会談内容、演説などありとあらゆる文書が、過去にさかのぼって、ロシア側の手に落ちていった。ヒラリー候補が個人的に当惑するようなこと、私有サーバーを使って国務省の極秘文書を流したケース、外国に知られては都合の悪い相手国との非公式会談、中国や日本についての個人的な感想などが、内部告発サイト「ウィキリークス」を通じて全米のみならず全世界に流され始めた。止めようもなかった。ヒラリー候補にとって不利なものを中心に流されたので、支持率にも陰りが出始めた。大きくリードしていた共和党の相手候補、ドナルド・トランプ氏との支持率の差が縮まっていった。

 

 それでも、ロシア側は米大統領選へのサイバー介入を認めなかった。昨年9月、中国で行われたG-20サミットで当時のオバマ米大統領がプーチン・ロシア大統領に米選挙へのサイバー介入を警告した際、プーチン氏はそんなことはしていないとはっきり否定している。そして2017年1月に就任したばかりのトランプ大統領が6月にドイツのハンブルクで行われたG-20サミットでプーチン大統領との非公式会談でこの件を持ち出したところ、プーチン氏は再び否定しただけでなく、米ニューヨーク・タイムズ紙の報道によると、「ロシアのサイバー関連の人材は極めて優秀で、サイバー介入したかどうかの痕跡さえ残さないそうだ」と、誇らしげに告げたという。すなわち、ロシアの仕業らしい痕跡があったというなら、それはロシアの仕業であるはずがない、と言いたかったのだろう。

 

◆◇一国のリーダーをも左右? サイバー情報戦は新時代◆◇

 

 今回の事件は、サイバー・ドメイン(領域)での情報戦がついに、一国のリーダーの選出を左右しかねない段階に達してきたことを全世界に示したという点で、今後に大きな影響を及ぼすことになろう。各国が互いに他国の政府機関などのネットワークに侵入し合って、データを盗み出したりしているうちはよいが、一国のリーダーを選ぶ選挙にサイバー介入し、選挙結果に影響を及ぼすような段階にまで進むと、侵入された側はそれを放置することはできないだろう。

 

 現実はすでにその段階にはいってきている。昨年の2月、プーチン大統領はロシアの情報機関の高官らを前に「一国の政治に対する国外からの影響」について講演し、「諸君は、ある種の政治的テクノロジーが存在し、それが多くの国々ですでに使われていることを承知していると思う」と述べ、ウクライナ(親ロ政権時代)、リビア、エジプト、シリアなどにおける政治的不安定は米国によって引き起こされたものだと断定した。そして米国は同じような空気をロシアでも醸成し、プーチン政権の失脚を目指しているとの認識を示したという。「ある種の政治的テクノロジー」の中枢にサイバー介入による情報操作があることは言うまでもない。

 

◆◇ロシアは何を得たのか◆◇

 

 そのサイバー介入による情報操作を米大統領選に仕掛けて見事、ヒラリー候補を落選させ、トランプ候補の勝利を“勝ち取った”ロシアだが、どんな成果が得られたのか。期待したトランプ政権は、いまだにニューヨーク州などのロシア政府の施設を返還していない。それどころか米議会も、大統領選への不当な介入への制裁措置として、ロシアに対する経済制裁強化法案を圧倒的多数で可決した。クリミア半島の併合などで、すでに西側諸国から経済制裁を受けているプーチン政権はこのままでは財政的窮地に追い込まれかねない。

 

米上院が対ロシア制裁強化法案を98対2の大差で可決した2日後の7月30日、堪忍袋の緒が切れたのか、プーチン・ロシア大統領はついに、昨年末から封印していた対米対抗措置を爆発させた。何と755人もの駐ロシア米外交官および職員を、「今年9月1日までに削減すべし」と命じたのだ。外交史上、前代未聞の超多数の外交官・職員の人数削減要求である。米側が「35人のロシア外交官の国外退去」を命じたのに対し、ロシア側の要求は20倍以上の人数だ。

 

だが、よく見るとロシア側の要求は、「外交官および職員の削減」となっている。「国外退去」の文字は無い。モスクワの米大使館、総領事館をはじめ、サンクトペテルブルグ、ウラジオストクなどロシア各地の米領事館では、ロシア人や外交特権の無い米国人など、数百人が事務職、通訳、警備員、運転手,厨房、清掃職員などとして雇用されている。それにしても755人もの削減となると、数十人規模の米外交官や家族の撤収を含まざるを得ず、米国にとっては大きな痛手となろう。

 

米国にトランプ新政権を“実現させた”はずのロシアのサイバー攻撃だったが、半年後の時点で、米ロ両国に有益なことは何ひとつ実現していない。ロシアにとっては、むしろ不利な状況が次々と生じている。何のための米大統領選介入だったのか――。サイバー領域の情報戦で成果を上げることは容易ではない。

 

(元朝日新聞記者 2017年8月記)

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