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会見一本化 イライラ増すばかり(読売新聞社 長谷川聖治)2011年5月

「長過ぎる。記者は疲弊するな」「聞きたいことが聞けないし、まとめにくい」―。4月25日に東京電力本店で初めて開かれた福島原発事故対策統合本部の共同記者会見。約250人の報道陣が詰めかけ、4時間近くに及んだ会見を聞いての感想だ。

 

科学部の原発事故取材班は、同時多発的にめまぐるしく変化する事故に対応し、総動員態勢で鑑定、原子力安全委員会、経産省原子力安全・保安院、東電本店、東電福島、学会などの会見に臨んできた。受けのデスク側も専門性の高い断片をつなぎ合わせ、やさしくアウトプットすることに追われた。

 

困ったのは東電と保安院の発表内容の齟齬。朝刊最終版の締め切りが迫る深夜に、汚染水に含まれる放射性物質の種類などの訂正会見が開かれることも多く、確認の電話、見出しの変更などてんやわんやの大騒ぎになったことも一度ではない。その時間帯の会見は、臨戦態勢で身構えたものだ。

 

こうした発表の齟齬、重複の解消を狙って開催されたのが、発生から1カ月半たっての共同会見。各組織の発表の自由を奪う「情報統制」との批判もあったが、世界注視の原発事故に対処する意気込みを示したいのだろう。同本部事務局長の細野豪志首相補佐官は「情報を一元化し、透明性を確保したい」と意義を語った。しっくりこなかったが、「記者のやりくりが楽になる」と自らに思いこませることにした。

 

しかし、長すぎる共同会見は冗長で、引き出したい情報になかなか迫れない。見出しに関わる核心部分のデータを待つデスク陣のイライラは前よりも増している。同じ記者会見で、何本も記事を書くため、結局、人海戦術はなくなりそうにない。

 

これに対抗するには、主導権を握る報道しかない。事故は防げなかったのか。人災の側面はないのか、共同会見の裏に隠された真実に迫る検証を収束に向けた日々の動き。両にらみの長い取材は始まったばかりだ。

 

(はせがわ・せいじ 科学部次長/1987年入社)

 

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