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”非日常”が日常化 退所者も目立つように(埼玉新聞社 橋本浩佑)2011年5月

福島第1原発事故で、埼玉県さいたま市のさいたまスーパーアリーナに集団避難していた福島県双葉町民が3月30、31日、担当エリアの加須市に移動した。「原発のない埼玉で、原発被災者の取材をすることになるとは…」。予想していなかった事態に、震災がもたらした”非日常”を改めて実感した。

 

双葉町の人口は約6900人。そのうち約1300人が、廃校となっている旧県立騎西高校で避難生活を送っている。教室に畳を敷いて居住スペースを作り、食堂やシャワー室のほか、役場機能も設置。子どもたちは近隣の幼稚園や小中学校に通っている。

 

受け入れは旧騎西高を管理する県がハード面、市はソフト面と役割分担している。市の登録ボランティアは約1600人。その中から約20人が連日、さまざまな形で避難者をサポートしている。支援物資も続々と届き、ネタには事欠かない。

 

アリーナと違って入所期限はないが、移転から1カ月近く経ち、退所者が目立つようになった。一番の要因はプライバシーの問題だ。

 

集落単位で生活しているとはいえ、1教室に数十人の老若男女が一緒に暮らす環境はストレスがたまる。「うるさくて眠れない」「落ち着かない」といった声は多い。

 

就業も大きな課題の一つ。多くの企業や団体が避難者の雇用を申し出ているが、実際に仕事を始めた人はごくわずか。「仕事の半数近くが原発関係」(井戸川克隆町長)という土地柄に加え、「ここで働けば故郷に帰れないことを認めるようなもの」という意見も聞く。

 

取材では、町の動向や生活の様子をはじめ、原発事故に関する政府発表の受けにも駆り出される。現場は常に記者でいっぱい。海外メディアや他県の地方紙記者にも出会った。

 

そうした点も含め、”非日常”が半ば日常化している。この先に何が生まれるのか、地元紙の視点から見極め、伝えたい。

 

(はしもと・こうすけ 報道部/2001年入社)

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