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地域再生へ 震災特化の紙面続く(河北新報社 太田巌)2011年5月

2カ月という時の流れも、巨大地震、大津波、原発事故・放射線汚染という大震災の被害を和らげはしない、というのが実感だ。

 

宮城、岩手、福島の太平洋岸を中心に死者・行方不明者約2万5000人。自宅、地域を失ったり、追われたりして避難生活を送る人は、なお12万人を超える。

 

わたしたちが伝えなければならない、わたしたちの状況がある。伝えなければならない声、伝えていきたい声がある―。みんなが強い意思を持って震災の報道、紙面づくりを続けている。それが地域の再生に向け、わたしたちができる一番の仕事だと考えている。

 

報道部、写真部、宮城県内の総局・支局の記者を中心に岩手、福島など東北5県の総局・支局の記者が、県域や市町村の枠を超え、被災者や避難所を歩き回っている。困難な暮らしを支える生活関連情報の収集も欠かせない。外勤記者のほとんどが震災取材に関わり、くらし面や文化面でも、「震災法律問題Q&A」、東北ゆかりの小説家らの筆による「震災と作家たち」といった企画を展開している。

 

見方によっては震災報道に特化した紙面が続いているということになるが、今、河北新報として伝えたいこと、読んでもらいたい紙面がこれだ、という信念での編集だ。

 

 

3月11日、河北新報本社も約3分間激しく揺れ、組版基本サーバーが倒れて紙面制作が困難になった。新潟日報社に紙面作りを快諾していただき、そのデータを共同通信社経由で河北新報印刷センターに送ってもらい、12日付朝刊を刷って配達できた。電気や通信も途絶したすさまじい災害の翌朝も届いた。自社記事を軸にした新聞は、多くの読者から感謝された。

 

その後も会員各社からは多大な物的、精神的支援をいただいている。お礼申しあげるとともに、支援にも応えられる紙面を作り続けることをお約束したい。

 

(おおた・いわお 1976年入社)

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