取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
浜に生きる漁師と「心の復興」をともに(岩手日報社 太田代剛)2011年9月
どんなに時を経ても浜の現実から目を背けぬよう、自戒を込めて「舫(もや)い~浜に生きる」を連載している。
リアス式海岸の岩手県沿岸は、大小111漁港のうち108漁港が被災した。両紙は漁船や養殖いかだなど、生活のすべの大半を奪われた。
被災から1カ月が過ぎたころ、各地の漁港はまだ大量のがれきに覆われていた。一方、県などの復興策は二転三転。復興の道筋は見えなかったが、漁師たちは毎日浜に出て、黙々とがれき撤去に励んでいた。
野田村漁協野田養殖組合の小谷地勝組合長(42)は、「組合員12人の心を海につなぎ留めるため、とにかく一歩を踏み出さなければ」と、つぶやくように話した。
「今はこうやって仲間が集まり、浜で一緒に働くしかない。一人で失った物のことばかり考えていたら、気がおかしくなってしまう」とも。
無残に破壊された漁港と同じように、漁師の心は傷を負っていた。
好漁場三陸沖に臨み、漁業と地域が密接に関わり合ってきた本県沿岸。有史以来幾度の津波に襲われてきたが、漁師は海を憎まず、再び海にこぎだし、海の恵みを糧に集落を再建してきた。未曽有の大雑賀となった東日本大震災からの復興にも、漁師の心の復興が欠かせない。
「舫い」は記者が交代で一つひとつ漁港を回り、7月6日付朝刊から週に6度のペースで連載している。
当初は復興を目指す漁師の姿を描いた記事が多かった。悲しみを押し殺し、しゃにむに立ち上がろうとする姿に、痛々しさを感じることもあった。しかし最近は、夏祭りや郷土芸能の復活など、漁師が自然に日常を取り戻そうとする姿が見られる。
人生の短さを考えれば、あまりに遅い復興の歩み。それでも被災地は、一歩一歩前へ進もうとしている。
「舫い」は、舟と舟とをつなぎ合わせることや、寄り添って一緒に仕事をすることを指す。われわれは岩手の地方紙として、被災者と心を一つに復興への道を歩みたい。そのために、記者は今日もどこかの漁港を小戸ずれ、漁師の声に耳を傾けている。
(おおたしろ・たけし 1996年入社/2010年から報道部次長)