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複雑さ増す被災地の現状(団長:川上 高志)2017年2月

東日本大震災の被災地を訪れるたびに感じるのは地域によって次第に差が広がる復興の状況と、それに伴う人々の思いの多様化だ。今回の取材団が訪れた岩手、宮城両県の沿岸部でも、やはり複雑さを増す被災地の現状を見た。

 

岩手県の三陸鉄道は復旧され、2019年に宮古―釜石間がJRから移管されて久慈から大船渡までつながる。だが車窓から見える沿線や駅前では整地作業がまだ続いている。

 

震災の跡を記録として残すのか、新しい街へと造り替えるのか。思いはさまざまだ。防潮堤が津波で破壊された宮古市の田老地区では、流された住宅の区画跡が消え、その場所には市民が集う野球場があった。

 

大槌町の住職高橋英悟さん(44)は犠牲者一人一人を記録する「生きた証プロジェクト」を進めている。当時の町長ら多くの職員が亡くなった旧役場庁舎を残すべきだとの声がある一方、平野公三町長は「新しい街づくりの計画には入っていない」と解体・撤去する方針を示した。

 

宮城県気仙沼市の菅原茂市長は「復興は社会課題の解決を伴うべきだ」と指摘し、再び津波が来ることを前提に人口減を見据えた街づくりを強調、「地方にある世界の港町」を目指すと語った。これに対し、市内から大島を案内してくれた市議は、将来の津波に備える名目で湾を囲う防潮堤の建設に疑問を呈す。

 

節目を理由に時折訪れる取材では、絡み合う複雑さを読み解くことは難しい。それでも行く意味はある。

 

釜石市の俳人照井翠さんは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を引いて、「行ッテ」みなければ「そこに流れるにおいも風の冷たさも分からない」と話す。岩手県立大槌高校の「復興研究会」は町内の被災現場を定期的に撮影し記録する「定点観測」を続けている。メンバーに一番人気のある活動だという。何度でも繰り返し現場に足を運ぶ。それが取材の基本だとあらためて教えられた。

 

(共同通信社論説副委員長)

 

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