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東京電力福島第一原発取材団(2017年2月) の記事一覧に戻る

いつ終わるのか「非日常」が日常になった(団長:服部 尚)2017年2月

東京電力福島第一原発の構内取材を柱にした日本記者クラブ取材団は3回目。今回は総勢40人が第一原発内をくまなく見て回ったほか、近くに整備された廃炉技術の試験施設や、かつて作業の前線基地だったサッカー練習場「Jヴィレッジ」、避難指示が出された浪江町、葛尾村、川内村の首長会見など、盛りだくさんの内容となった。

 

第一原発では、1~4号機を見渡すことのできる高台に案内された。1号機はちょうど昨秋、廃炉作業のために建屋からカバーを撤去したばかり。水素爆発でアメのように折れ曲がった鉄骨の塊が残り、事故当時の無残な姿を再びさらしていた。バスで建屋に近づくと、分厚いコンクリートの壁がぼろぼろに崩れた3号機が間近に見えた。

 

ちょうど、東電の調査によって、2号機の原子炉圧力容器直下で、溶けた核燃料(燃料デブリ)と見られる塊が見つかり、格納容器内の画像データから推定放射線量が最大530シーベルトなどといった発表がされたばかりだった。事故の傷痕が生々しく残る建屋の様子は、当時の厳しい状況を改めてうかがわせた。

 

溶けた燃料を冷やすために生じる汚染水のタンクも増え続けていた。敷地内に、すでに1000基・約96万トンもある。「野鳥の楽園」といわれ、緑豊かだった敷地内の至るところに、3階建てほどもある大きなタンクが置かれていた。

 

一方で、廃炉作業の労働環境は、ここ1、2年で格段に改善された。1200人が収容できる大型休憩所や、明るい吹き抜けの事務本館が新築され、中にいると、普通の事業所にいるような気分になった。

 

廃炉作業の先行きは見えない。事故から30年たつチェルノブイリ原発は、いまだに燃料デブリは残ったままだ。いつ終わるかわからない「非日常」は、もはや日常化していた。

 

(朝日新聞社編集委員)

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