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人間同士のメディア空間を取り戻すために(滝鼻 卓雄)2016年1月

東京を歩き回っていると、気になる所がいくつかある。

 

東京メトロの銀座、千代田、丸ノ内各線。駅で言えば、渋谷、表参道、北千住というターミナル。一定のスペースを考えれば、何といっても、渋谷スクランブルだ。

 

これらの点、線、面を観察して、共通して分かることは、ほとんどの人々がスマホの画面に視線を投げつけながら、歩いているか立ち止まっているか、そのどちらかである。もう一つの共通点は、だれもが無口で、不機嫌な表情で、他人との視線の交差を避けている。メトロの車掌はくどいように、「携帯電話はマナーモードでお願いします」と繰り返す。余計なおせっかいだと思う人もいるはずだ。私もその一人である。自由に携帯を使い、もっと人と人とのおしゃべりをさせてほしい。だから、電車内でもターミナルでもスクランブルでも、人間同士が音声をもって会話する機会が少なくなり、自分がだれであるかを他人に打ち明けることを拒み、その結果、まったく無表情な空間が東京に出来上がってしまった。

 

こんな空間をつくったのは、携帯会社の陰謀の結果だとはいわない。

 

では、だれが、なにが、人間対人間の大切な空間をこんな無機質なものに広げてしまったのか。

 

■新聞がネットに追い越された

 

一人一人のメディア(新聞から携帯まで)に対する意識が、この5年の時間経過の中で、極端に曲がった形になってしまったと、私は振り返っている。別の言い方をすれば、大衆がメディアの罠にはまってしまったのかもしれない。

 

ここに興味深い調査結果がある。NHK放送文化研究所が2015年2~3月に実施した「日本人とテレビ・2015」の調査である。NHKだからテレビ中心の調査になっているが、その中に「欠かせないメディア」という項目がある。5年に一回の調査だから、2010年といろいろな調査項目を比較している。

 

「あなたにとってどうしても欠かせないメディアを一つだけ選ぶとしたら」という設問に対し、16歳以上の男女2442人が答えた。

 

「テレビ」と答えたのは50%(5年前は55%)、新聞と回答したのは11%(同14%)といずれも減少している。対して「インターネット」と答えたのは23%(同14%)だった。新聞がインターネットに追い越された瞬間である。

 

「もう一つ選ぶとしたら」という設問もあった。テレビの相対的な位置づけを探るためだ。一番目と二番目の組み合わせをみても、インターネットが絡んでくる。

 

スマホ、タブレット、パソコンなどのインターネット系の伝送路でニュースを取得する人たちが、老若男女を問わず、新聞を抜き去っていった。この現実は、無機質な空間の広がりと関係ないだろうか。

 

■ニュースは〝タダ〟の功罪

 

夜明け前の闇の中、私は新聞配達のバイクの音で目が覚める。毎月1回の新聞休刊日を除いては、毎日同じ音で目覚める。紙の新聞がどんどん減っているといわれていても、日本における新聞配達のインフラは、これからも消滅しないだろう。

 

とはいっても、紙の新聞の部数は減り続けている。日本新聞協会のデータブック(2015年版)によれば、14年10月時点での新聞総発行部数は、4536万2672部(日刊紙)ということになっている。前年の同じ時点と比べると、なんと163万部も減少している。163万部といえば、大きな地方紙(県紙)が3つくらい消えた勘定になる。 

 

驚くべき地殻変動が起きているにもかかわらず、日本では新聞社が破綻したというニュースは聞かない。わずか2年前まで新聞社で働いていた者としては、さまざまな理由は推測できるが、この近年の急激な変動の中には、推測できなかった「動き」もあった。

 

若者の新聞離れ、単身世帯の購読中止、消費税が8%に上がったことなどのほかに、メディアの「産業革命」と表現していいほど、メディア環境の変革が起きたことだろう。

 

つまりニュースの伝送路が、紙から携帯やタブレット端末へと爆発的に拡大し、移動してしまった。混んだ電車の中を観察していると、6割から7割の人がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)系のニュース・アプリを読んでいる。この現象は紙の新聞にとっては脅威であり、紙を守ろうとする者の〝敵〟でもある。問題は「情報はタダだ」という意識を浸透させてしまったことだ。

 

■「ネット編集局」で挑戦を

 

いま日本の新聞は紙にプリントされた新聞とは別に、ネット経由でニュースを配信している。もちろんスマホに代表される移動端末でも読める。有料化している部分もあるが、見出しとニュースの主要な部分は、無料で読める。レイアウトやニュースの配置は、各紙で工夫を凝らしているが、紙の新聞の〝延長〟という印象は否定できない。

 

そもそも「ニュー・メディア」といわれた時代に、ネット配信が始まったのだが、各紙とも本腰を入れてスタートしていなかったので、というか「紙は絶対に減らない」あるいは「減らさない」という確信の下に、課金しないままニュースを配信してしまった。これが大間違いだった。どんな商品でも、無料を有料に変更するのは、膨大な営業エネルギーを必要とする。各紙とも及び腰で課金紙面を増やしているものの、大幅な売り上げ増には結びついていない。  

 

先日のことだが、アメリカからの報道によれば、ニューヨーク・タイムズは「ページ・ワン・ミーティング」をやめたという。つまり1面のニュースをどうするかという編集会議を廃止した。これは新聞の〝軸足〟を紙から電子版に切り替えたことを意味する、とその報道は伝えていた。昨秋、日本記者クラブで会見したマーク・トンプソン同社社長も同様の発言をしていた。

 

戸別配達のインフラがまだ残っているといっても、本格的なネット配信に一歩踏み出す時期が近づいているのではないか、と思う。

 

一つのヒントは、ニュース・アプリと呼ばれる、移動端末向けのニュースの配信会社の急成長にある。しかし、弱点もある。課金型、一部課金型、広告付きの無料型など、さまざまな形態があるが、共通していることは、ニュースに対する価値基準がまちまちで、肝心なニュースに対する信頼度がいま一つということだ。

 

そこで新聞社が自らキャッチした自前のニュースを使って、紙の新聞を編集する前に、新しいニュース・アプリに載せて発信してしまう。「ネット編集局」のスタートだ。ニュース価値の大小を考えないで流し続ける。次から次へ流す。

 

その過程で重要なことは、SNS機能を駆使して、読者の反応をつかみ、その反応をそのまま紙の新聞に反映させる、という手法である。とはいっても、ニュースに対する大衆の反応がいつも正しいか、と問われれば、否定的な意見も多いと思う。さらに大切なことは、それぞれの新聞には、編集方針、ニュース価値の基準があり、各新聞の差別化にもつながっている。その原則は、ジャーナリズムを生業としている者には、譲れないくらい重大なものである。 

 

■瞬発的な判断力持つ記者に

 

もう一つ乗り越えなくてはならないことは、新聞記者一人一人の「瞬発力」の育成である。いまの記者は、紙の新聞の締め切り時間に向かって、記事を作成している。「取材したら直ちに書け」と号令をかけても、記者たちの〝生活習慣病〟はなかなか治らない。

 

記者の中には、「特ダネをネットで配信すれば、他社が追いつく」と言い出す者がいるに決まっている。しかし、大衆の反応をいち早くキャッチして、そのニュース価値の順位を紙の新聞に反映させることの方が、これからの新聞の道にとって、選択すべき重要な進路ではないか、と言いたい。

 

さらに乗り越えなければならないことは、編集体制の改革だ。エディターとプログラマーの連携プレーの体制を構築することである。エディターは従来通りにニュースの価値を決める。プログラマーの仕事は、「ネット編集局」から送られてきたデータ、すなわち大衆の意思を紙の「編集画面」に自動的に組み入れて、命令することだ。エディターの判断を重ねて、紙の新聞の編集に参加することである。〝編集工学〟という考え方だろう。

 

私は、これからの記者には瞬発的な判断力を期待したい。とともに24時間更新できる記事を書ける記者であってほしいとも願っている。そのような記者であれば、大衆の意思を極限まで追求することができるだろう。その結果、私たちは、人間対人間の大切なメディア空間を取り戻せると信じている。

 

たきはな・たくお▼1939年東京都出身 1963年読売新聞入社 論説委員 社会部長などを経て 2004年東京本社社長・会長 並行して読売巨人軍オーナーを7年間務めた 2005年から09年まで日本記者クラブ理事長

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