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あのバランス感覚を今の政界に 名官房長官・後藤田正晴さん(倉重 篤郎)2015年7月

「私が会ったあの人」というより、「私が会いたいこの人」のことを書かせてもらいたい。

 

10年前に亡くなった後藤田正晴さんのことである。名官房長官であった。カミソリ後藤田とも言われ、霞が関や永田町ににらみを利かせていた。選挙制度改革の強力な推進者でもあった。老いては政界ご意見番として名を残した。

 

いろんな側面をもたれた方であったが、私が最も懐かしく、かつ大切に思うのは、政治家としてのその優れたバランス感覚だった。

 

番記者として思い起こすことが2つある。

 

1つは、1980年代後半のバブル経済華やかなりし頃のことだ。日本経済は1億総金満家とでもいうべき時代に突入、地価は東京23区の地価総額で米国全体を買収できる値まで上がり、日経平均株価も4万円近くに達した。

 

今思えば、異常な時代だったが、当時これに違和感を持ち、問題視する人は少なかった。なぜならばバブルは、保有資産価値が上昇することで、庶民のみならず、税収の増える政府、政治献金が集まる政治家と、多くの人々をハッピーにしたからだ。日本人の多くが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と浮かれ、これが未来永劫続くかのような錯覚に陥っていた。

 

だが当時、中曽根内閣の官房長官を務めていた後藤田氏は違った。「地価が上がり過ぎだ。銀座の猫の額ほどの土地がサラリーマンの生涯賃金より高くていいのか」

 

鋭い指摘だった。社会的公正性の視点からだったが、経済政策的にも無理があるとの直感だった。大蔵省を呼びつけ、マネーサプライの異常な動きを突き止め、それを規制すべく銀行局長通達を出させた。87年10月だった。

 

もう1つは、90年代後半、ポスト冷戦期の日米安保条約についてこんな発言をされた。「ボクは日米安保は大事だと思う。しかし、これは軍事同盟だよ。軍事同盟ってのは仮想敵国というのがある。今、どこが対象になるかというと、だれしもが中国だと言う。ところが、日本は中国との間で平和友好条約を結んでいるんです。平和友好条約を片方で結んでおって、同時に仮想敵国とする軍事同盟がある。そんなのが世の中にあるか」(毎日新聞98年1月1日付の対談)。いったんは日米安保条約を廃棄して、日中間のような平和友好条約にしたらどうか、とまで踏み込んで提言したこともあった。

 

保守政権の要路にいた人がそこまで言うのか、と驚いた記憶がある。占領軍統治以来の嫌米親中派だった人ゆえの発言でもある。だが要は、日本政治の行き過ぎた対米依存外交への警鐘であった。

 

経済でも安全保障でも治安でもバランスを欠いた行き過ぎを警戒する人であった。「日本人は横並びで同じ方向に走り出す習性がある。歯止めが利かない。戦争もバブルもそうだ」と言っていた。

 

そんな人の目からみて今の安倍晋三政権はどう見えるのか。会えるものなら三途の川を渡ってでも聞いてみたい、と思う昨今だ。多分、異次元緩和によるアベノミクスも自衛隊の海外派遣の拡大も後藤田流解釈では行き過ぎの最たるものではないか。あのいかめしい顔が浮かんでくる。「話にならんな。バランスが悪すぎる」。一転ニヤリ。「君らマスコミの責任は重いぞ」とも言われるような気がする。

 

(くらしげ・あつろう 毎日新聞論説室専門編集委員)

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